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「ハイスイノナサ」いかにも、このバンド名にまずヤられてしまった。しかもタイトルが「想像と都市の子供」...もう聴く前から、音の拡がりが無限の可能性に満ちていることを物語っているようじゃないか。

ハイスイノナサという言葉自体には意味がない(らしい)のとは裏腹に、彼らの創造性のとてつもなさは他に例えようがないものだ。もしバンド名の由来に意味がないとしても、「背水の陣」の反対が「ハイスイノナサ」だと考えた時、一つの期待が胸をよぎる。その造語(?)は、僕らの同世代が抱いている感覚そのものなのではないか、と。

そんな勝手な思いは、早々に確信へと変わることになる。2011年1月8日(土)、名古屋クラブロックンロールで彼らのレコ発ツアーが開かれることを知り、運よくライヴを観に行くことができたのだ。

通常、エレクトロニカとか現代音楽の要素を持った音楽はどこか無機質さが否めないところがあるのだが、緻密で均一化された音の構成にもかかわらず、彼らの音楽からは人間の熱量や温度をひしと感じることができた。

そうした稀有な特徴の中でもあえて特筆すべきは、工場の煙さえも澄み切らせてしまいそうな女性ヴォーカルの透明度についてだろう。その声は、様々な物事を均一化して人々の個性を無視した、一見理不尽な都市の冷たさ・固さ・ぎこちなさを受け入れながら、少しずつ解きほぐし、心に灯りをともしてくれる。公園のベンチであったかい缶コーヒーを飲んでホッと一息つけるような安らぎに近い…。それは彼らの音楽が、僕らが暮らしている街に常日頃抱いている感情をそのまま投影しているからかもしれない。

ドラムからキーボードへと、リズムがリレーのバトンのように心地よくつながっていく。それはまるでパズルのピースを積み上げて一つの建物を作り上げているかのようだ。その「作業」は、あくまでも所定の位置にもれなく正確に運んでいくのだけれど、バンドである彼らは一つ一つの音を発していく瞬間、そこから無限に拡がる想像の景色を僕らに抱かせ、伝えてくれる。キーボードの指先、ギターとベースのピック、ドラムのスティックが新世紀の人間の感覚でそれぞれの楽器に触れられ、新たなスタンダードをそこに浮かび上がらせる。

この「新たなスタンダード」という表現は決して大げさではなく、このCDの楽曲を聴いた瞬間、今まで体験したことのない新鮮な世界がリスナーの前に現れることになるのだが、その一方で、まだどこか見慣れたニュータウンの公園に立ち返れるような妙な懐かしさを感じた人も少なくないだろう。

それは、彼らの一音の積み重ねが、自分の現在位置と周りの街の景色との距離感、そびえ立つビルや縦列する車の群れなどを立体的に確実に浮かび上がらせるがゆえに、否応なく進んでいく都市の変化の中で忘れがちな「幸せ」…僕らが今ここに佇んでいる空間が変わらずにあるという喜びを思い出させてくれるからに違いない。

個人的には学生時代に触れておきたかった音楽の理想像であり、だからこそ今のタイミングで出会えたことに、感謝の思いを隠しきれない。是非多くの方に彼らの作り出す新しい街の風景を追体験して頂きたい。




路考茶
ろこうちゃ/片田舎の音楽評論家。専攻は「環境と音楽」。中学1年で音楽全般に目覚める(受け専門)。田舎ではどうしてもラップ・レゲエや演歌、歌謡曲しか通じないため、本誌を通して密かにROCKMUSICの雪解けを企んでいる。Twitter ID@my8mountain8hop