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さえぐさです。これからは気が向いたら自分もコラムを掲載することにしました。新聞でいうところの社説みたいなもんです。その名も『風孔抄(かざあなしょう)』…なんというか、相変わらずネーミングがノリでしかないと早速反省しています。後悔はしていません(早速うざい)。

さて、今日はこういう提案をしてみたいと思います。

①出版社はメーカーになれば?
②テレビ局はもっとバカになれば?
③新聞社は雑誌社になれば?


昨今「ネットが新聞になり、新聞が雑誌になり、雑誌がブログメディアになり、ブログメディアのエントリーが積まれて書籍になる」というメディア時間軸のダルマ落としが起こっています。この流れでいくとモノカルチャーとしての雑誌は消えてなくなります。それでも僕は雑誌を創刊したかったので、雑誌に取って代わるブログマガジンを作ろうと思い今に至りました。

すでにお気付きの方もいると思いますが、この時間軸の終点は「書籍」です。もっとも古いメディアであり、一つの知識体系としてまとめられている書籍・書物の価値は、時間軸の変化に関わらず不変だからです。

つまりネットの登場が驚異的だったのは、メディアの時間軸にズレをもたらしたことであって、価値の変容を促したわけではなかったことが分かります。逆に言えば、ネットにはその程度の影響力しかないということなのです。既存メディアはネットを仮想敵とみなし過ぎなのです。見ればわかると思うのですが…そんな大そうなもんじゃありませんよね。

そう考えると、従来の書籍の売り方である単行本→文庫本の流れは意外と磐石で、電子書籍化による売上単価減くらいしか懸念事項がなく、出版各社がなんで右往左往しているのか分かりません。保身のために右往左往しているフリをしているんじゃないかとすら思えてきます。

出版社はもはや「メディア」ではなく「メーカー」であることを認めるべきではないでしょうか。おれたちが扱っている領域はウェブ屋とは違う質の高い情報だとか固有の文化だとか言っちゃうのはやめて、書籍が酒・たばこと同様の嗜好品であると考えるほうが今や自然な気がします。

というわけで、出版社の皆さんには、今後ますます嗜好品たる書籍の価値を高めていって欲しいと思います。モノの質感やデザインや、書籍がそこにあるべきライフスタイルの構築にこだわって下さい。もはや書籍は「読む」よりも「たしなむ」方がしっくりきます。

さて、更にお気付きの方もいると思いますが、この時間軸にはテレビが出てきません。諸説ありますが、僕はテレビという電波メディアの役割も不変ではないかと思っています。ネットに驚かされるようなヤワなものではありません。

問題なのは、番組内容が視聴率と視聴者層に媚び過ぎているために、公共の電波を使っているという自覚を失い、一部の世代が気持ちいいだけの話題を垂れ流す偏向報道が際立ってしまっていることです。テレビが問題の本質を映し出していないことが誰の目にも明らかだからです。それは新聞にも言えることです。

テレビや新聞は、かつて喧々諤々の議論そのものを映し出す公平性こそが売りだったはずですが、いつの間にか一部の意見を代弁する利益誘導企業に成り下がってしまいました。目の前の金に目がくらんで、広告主のいうことを聞き過ぎているのだと思います。

しかし、テレビが最も力を発揮する局面があります。それが政治です。カメラを通じて顔が見える、ということがものすごく大きい。かつて故・佐藤栄作が新聞の偏向報道を嫌って記者を締め出し、TVカメラ一台回る中で退陣表明の記者会見をしたそうですが、その事実が全てを物語っています。

つまり、テレビ局はもっとバカを採用すべきです。トンネル批判万歳、「なんだかよく分からないけど、とりあえずカメラまわしちゃえ」みたいなドキュメンタリー大好きなディレクターがもっと増えればいいと思います。視聴者はバイアスのかかっていない「そのまま」が見たいのです。テレビが下らない自己主張と媚びを放棄した時、テレビは必ず復活します。いろんな意味で、早く諦めてくれることを願っています。

政治については新聞も強そうに見えますが、これは記者クラブという特権構造でお上から早く情報が回ってくるというだけで、ネットニュースの記者が同条件で情報を得られれば何の問題もないはずです。新聞はさっさとその地位をネットメディアに明け渡すか、スピードや量を犠牲にしてでもより深い洞察を載せていく雑誌化を推し進めたほうがいいと思います。そういう意味で新聞は、テレビとは逆にバイアスがかかっている方が面白いはずです。読み比べを前提としたメディアだからです。

僕の好きな月刊誌に『選択』があります。定期購読による郵送のみの販売で、書店には置かれていません。鋭い考察で、やや代案に乏しい点はあるものの、新聞より問題を掘り下げて解説してくれるので勉強になります。新聞はこの『選択』をモデルに、新聞を思い切って週刊にして、1冊1000円で広告なしで売ってくれればすぐに面白くなるんじゃないかと思います。各社あれだけの販売店システムを有していながら、はっきりいって今のままでは宝の持ち腐れです。

何しろもう時間がありません。最近ようやく政治に動きが出始めました。1月28日(土)の東京新聞の1面は『東京・石原知事 愛知・大村知事 大阪・橋下市長 衆院選で「都市連合」独自候補擁立へ協議』でした。これは画期的なことです。

橋下市長の快進撃は連日メディアで報じられている通りで、この前の朝まで生テレビも、橋下市長VSその他全員という凄まじい構成でちょっと面白かったのですが、結果はまさに「橋下無双」といった様相で、専門分野を隠れ蓑にした感情論で切りかかってくる香山リカ他いわゆる「橋下主義(ハシズム)を許すな!(←このフレーズはなかなか秀逸)」論客を一人ずつ「代案なくして批判なし」の姿勢で返り討ちにする橋下市長の無双ぶりはなかなか痛快で、テレビ恐るべし、田原総一朗恐るべしとあらためて感じ入りました。これこそ既存メディアの底力だと思うのですが、悲しいかな当の本人たちがおそらくこの事実に気付いていません。

先日レッツノートのブロガーイベントに出席した際、ジャーナリストでメディア・アクティビストの津田大介氏と少しお話することができました。ツダスケ氏(いきなり馴れ馴れしい)の最近の関心事は政治に向けられているらしく、個人的には氏の新刊「情報の呼吸法 (アイデアインク)」の中で随所語られている『新しい政治メディア』構想に、今最も期待を寄せています。『「政策でわいわい騒げる場所」を作り、それを見たテレビや新聞が報道の仕方を変えてくれるようなメディアを目指す』という津田氏の活動は、そのままネットメディア関係者の本意であるとすら思うのですが、いかがでしょうか。

変 周長
へん・しゅうちょう/1981年愛知県生まれ。本誌編集長、クリエイティブマネジャー。
Twitter ID: @_CAZANA
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