「伊勢って大好きな場所だったし、昔からよく知ってたから。さっきも話したけど、新婚旅行でも来てるわけで(笑)。うちの親父も大好きだったしな。で、伊勢神宮を乗っ取れば…って訳じゃないけど、少なくとも伊勢神宮の神主を超えれば簡単に日本文化の第一人者になれるじゃない?」

沖縄修学旅行/目崎茂和

『祭り研究者』の目崎茂和

―――こうして琉球大学時代に今の研究の基礎を作り上げた先生が、いよいよ助教授として三重大学に赴任するのが1986年。41歳の頃ですよね。きっかけは何だったんでしょうか?

目崎:面白い話が、ちょうどその頃うちのカミさんが、「あなたは琉球大学では沖縄の星になれた。でもこれは日本で通用するのか?」って言ったわけ。で、そのときに偶然三重大学から「新しい学部が出来るから来てくれ」っていう話が来た。当時の学部長がわざわざ沖縄まで来てくれてな。

―――それが人文学部だった?

目崎:そう、人文学部。伊勢って大好きな場所だったし、昔からよく知ってたから。さっきも話したけど、新婚旅行でも来てるわけで(笑)。うちの親父も大好きだったしな。で、伊勢神宮を乗っ取れば…って訳じゃないけど、少なくとも伊勢神宮の神主を超えれば簡単に日本文化の第一人者になれるじゃない?

―――その発想がまさに先生ですね(笑)。

目崎:で、もう一つ重要な理由があって。人文学の世界には柳田國男とか折口信夫っていう日本を代表する民俗学者がいるわけだけど、そもそも彼らは日本の古い文化とか神話の世界っていうのを、実は沖縄で発見するんだよな。日本文化論や国文学、民俗学の礎を、沖縄に来て初めて発見するんだよ。二人ともそうだった。

―――人文学の基礎が沖縄にあった…。

目崎:どういうことかっていうと、例えば神話学には「常世(とこよ)」っていう重要な概念がある。「現世(うつしよ)」と対峙した言葉で、死後の世界とか永久とかの意味があるんだけど、彼らはそれを文献上でしか分かっていなかった。ところが、それが沖縄に残っていたわけだよ。沖縄の祭りの中に。それがニライカナイだった。「海の彼方にある異界=理想郷」って意味でね。つまり日本本土で断絶していた「常世」の概念が、沖縄の各地には伝わっていた。日本の古い文化ってのは、祭りの中に、沖縄の中にみんな残っていたわけだよ。それを、柳田國男と折口信夫という民俗学の巨人たちが相次いで発見したんだよな。

―――なんで本土から離れた沖縄に残っていて、本土には残っていないんですか?

目崎:日本文化って、京都を中心として広がっているんだけど、京都の文化は毎年更新されていくわけだ。日々変化してるから。だけど古いものは、例えば沖縄のような最も縁(へり)の土地に残っている。これは日本に限った事じゃなくて、柳田國男が言ってるように、文化には「周圏論」っていう考え方があるんだよ。

―――「周圏論」?

目崎:例えばローマを中心として、ローマ文化の古いのはケルトに残っていたりする。それが「周圏論」。つまり文化って全部そういう伝播の仕方なんだよな。で、それが日本の言葉の中に残っていたわけだよ。真ん中は絶えず変わり続ける。伊勢でも毎年、伊勢音頭っていう新譜を出してたわけ。でもその古いヤツは伊勢には残ってないんだけど、それが例えば四国に残ってたり、全国の盆踊りに残っていたりするわけ。どういうことかっていうと、伊勢参りに行ったヤツが「今伊勢で流行ってる、最先端の流行ってこういうのだぜ」って。

―――今でもそういう人いますよね、海外を放浪してた人とか(笑)。

目崎:な、同じだよ。それが地方の盆踊りに取り込まれたりな。だから、例えばトンボのことを昔はみんなアキツって言ってたんだけど、今は言わないだろ?ところが、沖縄や古い島にはアキツっていう言葉が残っていたりする。

―――だから先生は「祭」の研究者でもいらっしゃるんですね。

目崎:そう、だから祭の研究は三重大学に呼ばれてから本格的にやり始めた。毎週、子どもやカミさん連れて、お盆の祭りと正月の祭りとか、何軒もハシゴしながら。暇だったからな(笑)。で、三重来て早々に、大学の先生のクセして『三重の祭』っていう連載を朝日と中日新聞でそれぞれ50回くらいずつやったんだよ。まぁ、それはまだ本にしてないけどね。いつでもできると思ってるから。

―――なんで連載できちゃってるんですか(笑)。

目崎:で、そのうちに伊勢神宮の外宮に頼まれて、2000年のミレニアム・カウントダウンの時にカミさんと三本締めやったの。三本締めってカウントダウンだからな。特に伊勢には「伊勢流三本締め」っていうのがあって、木遣りをやった後に三本締めをやるという。面白いよね。だから伊勢に来たら、やっぱり日本の神様をやろうと。日本神話をやりたいって思うようになった。(続く
>> 続きを読む