京都の観光シーズンは、一般的に春か秋だと言われています。もっとも過ごしやすい季節であることに加え、やはり皆さんご存じの通り、春は桜、秋は紅葉のすばらしい名所をいたるところで堪能できることが、その最大の理由と言えるでしょう。

また、京都の仏閣や古い街並みからも想像される通り、春・秋であれば必然的に、花見・紅葉の有名スポットと歴史的建造物・街並み・風景をセットで楽しむことができます。こうしたことも大きな魅力の一つです。
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そのようないわゆる古い・歴史ある京都を連想させる花見スポットの中で、やや異彩を放つのが、今回ご紹介する琵琶湖疎水べり、とりわけ山科から蹴上までのコースではないでしょうか。

琵琶湖疎水には、日本の近代的な公共事業を象徴する側面があります。事実、南禅寺の水路閣などは煉瓦づくりを基調としており、明治初期の建築様式が思い起こされるなど、京都の他の建築物とは一線を画した雰囲気があります。

明治以降の近代日本と、いわゆる歴史・文化のまち京都との間では、イメージの重なるところが少ないと思われるだけに、この琵琶湖疎水は、京都においてひときわ独特の雰囲気を持つ場所になりました。

■琵琶湖疎水と事業費
さて、その琵琶湖疎水ですが、琵琶湖の水を直接京都市内へ繋いでいる水路であり、明治初頭に建設されました。その工事の予算規模は莫大なもので、当時の政府予算が七千万円の時代、最終的に一二五万円もの事業費がかかったと言われています。

■琵琶湖疎水の目的
琵琶湖疎水の当初の目的は、水運と用水の確保等でした。また、当時(明治時代初期)衰退の一途をたどっていた京都の経済復興が目的だったといわれています。そして、工事の着工後、水力発電の機能を導入することが決まり、日本で最初の水力発電が蹴上に作られました。この水力発電は京都市の復興と発展に大きく貢献することとなり、また、水道用水として今も活躍しています。

■疎水本線と疎水分線
琵琶湖疎水には本線と分線があり、琵琶湖から蹴上(南禅寺)で本線から分線になります。花見のシーズンに賑わう「哲学の道」や「岡崎疎水(平安神宮周辺)」は、疎水分線にあたります。ここでの花見が抜群なことは、もはや言うまでもありません。
さすがにこうした名所と比べれば、疎水本線を中心とした疎水べりはそれほど有名ではありません。しかし「琵琶湖疎水という京都では珍しい近代建築とその歴史的背景」というスパイスを加えれば、決して他に引けを取らない魅力があると言えるでしょう。

■疎水本線とトンネル
琵琶湖疎水の建設にあたり最も難関とされたのは、水路の確保のための山を掘る、トンネルを作る作業であったと言われています(とりわけ「長等山トンネル(第1トンネル)」)。そのため、人為的な建築物でとくに見応えのあるものは、疎水本線と分線の合流地点までに集中していると言ってよいと思います。
そして、トンネルの入口と出口が琵琶湖疎水の一番の見所。
各トンネルの取水口の外見はそれぞれ微妙に異なり、また取水口の額部にそれぞれに碑文が刻まれています。これらを書いたのは疎水建設にあたり関係した大臣等であり、伊藤博文や山縣有朋などの名前も発見されています。

■歴史的遺産としての琵琶湖疎水
現在、琵琶湖疎水は国の史跡と、経済産業省の近代化産業遺産に指定されています。また、現在京都市が世界遺産登録を目指しています。
京都再興の象徴として琵琶湖疎水があげられることもあります。古都・京都の別の顔である「近代性」を表現したものとして、琵琶湖疎水が評価されているからだと思われます。

ここまであまりふれませんでしたが、近代化に際しては必ず問題点も浮上します。しかし、京都には伝統や歴史といった蓄積があります。近代化について批判的まなざしをもちながら、開発や発展と向き合うことが京都の目指す方向ではないでしょうか。

京都という土地柄には、今後もそうあり続けるための歴史や教育という「素材」が備わっていると私は信じています。


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こばよし
こばよし/京都府宇治市で育つ。都内の大学院卒業後、現在京都府内で勤める。京都出身であるが、京都市内の育ちではなく、厳密な意味で「京都人」ではない。そのため京都への思いは複雑らしい。