特集1アイコン0520代リストラが本格化した2009年以降、その状況に作品のスポットを当て、働く人を応援し続けているシンガーソングライターKadojun(門谷純)。そんな彼女、なんと現在武道館に15,000人集めてライブを行う計画を進行中!本誌はもちろんその夢に乗っかります!


毎日、真面目に働く僕らの労働環境は…♪

「ブラウン管の中でもなく、スタジアムでもなく、スクリーンの上でもなく、サーキットでもなく、ヒーローはいつでもストリートに立っている」と言ったのは、かつてHOTEIの名曲『さよならアンディ・ウォーホル』の歌詞も手掛けたフリー編集者の森永博志さん。氏の代表作『ドロップアウトのえらいひと』の冒頭を飾るこの言葉の本当の意味を知りたければ、今は間違いなく、門谷純を聴きに行くべきでしょう。

彼女はほぼ毎日、ストリートで歌っています。

仕事帰りの新宿西口で初めて彼女の歌声を聴いた時、そのキュートなボーカルとは裏腹に、発せられる言葉の一つ一つが、とにかく強烈だったことを今でも覚えています。ようやく「世相」と「世代」を歌う実力派のアーティストが現れたのだと一人で興奮し、その場でアルバムを買って彼女と握手をして帰るというハマりっぷり。はい、端から見ればただのファンでしかありませんね(笑)。

ところが、その透き通るような声で、歌詞の内容はこんな感じなのです。


 毎日、真面目に働く僕らの労働環境は
 経費削減やボーナスカットの上にリストラされ
 いばってた上司もさすがに今は攻めより守りの姿勢
 あんたも人の子だったんだなと同情する始末

 何でもするから サービス残業も
 「働かざるもの食うべからず」もう、神様分かったよ!

 給料上げてよ!
 むしろ仕事させてよ!
 休みくれ!とは言ったが
 誰が一生休んでいたいと? ―『給料』



一瞬、「なんだ、労組のオッサンの応援歌か」などと思ってしまいそうですが、よく聴けばそうではありません。残念ながら、これは彼女と同世代の「僕ら」が主人公の歌なのです。

門谷純、今年27歳。

デビューシングル『向日葵』の発表は2006年。しかし、彼女がストリートで“働く若者=同年代”の姿を明確に意識して歌い始めたのは2009年冬以降のことです。

リーマン・ショックから1年後―。まさに本誌が今回着目している時期に合致します。

マスコミでは表沙汰にならず封印されていましたが、やはりこの頃から一部の企業は20代のリストラに舵を切っていました。そして、ターゲットが自分たちの世代だと気付かされた時、彼女の感性はその現実を見過ごせなかったのでしょう。この頃からその作風に変化と成長の兆しが見られていました。

そして翌2010年8月、上記『給料』や名曲『拝啓、ロンリーシャイ様』を含めた2ndアルバム『僕らのマニフェスト』をリリース。先述した“握手して買ったCD”がこれなのですが、もうとにかく楽曲クオリティがすごいことになっています。しかもその歌詞の多くが“現代の働く若者”の状況に身を置いて作られていることがひしひしと伝わってくるのです。


 リストラまでのカウントが響く
 後輩は早々にノルマを達成して
 上司は最近やけに優しくて引退勧告ほのめかしてくる
 だけど守るべき家族がいるから 逃げ出さずふんばっている ―『立ち上がれ!』


 働く意味も 生きる意味も
 分かんない 分かんない 分かってるつもりでも
 生きてくよ 考えたってしょうがない
 「私は今日も生きていく」これ以上の答えは見つからない ―『分かんないけど生きていく』


 働いている あなたステキ
 嘘じゃないよ ねぇステキだよ
 満員電車 今日も乗り込んで
 遅刻もせず働くあなたステキ ―『拝啓、ロンリーシャイ様』



もちろんこうしたテーマ以外も含め、門谷純の魅力を存分に網羅した16曲のフルアルバムだということは、まず断わっておかなければいけません。とはいえ、この比率は彼女の当時の心境を反映したものだと考えて間違いないと思います。彼女自身、ライブ中のMCなどでも、それらの楽曲に「働く人を応援したい」というメッセージが込められていることを公言していますし、何より彼女の歌は「誰のために歌っているのか」が常にはっきりしているのです。

ところが、オイ!オイ!と盛り上がるロック調のライブにも関わらず、その年齢層は比較的高い。歌詞の内容からして仕方ないことかも知れませんが、本誌はあえて上記の楽曲群は「40~50代に向けた労組の歌ではない!」と断言します。

この頃の彼女はあくまで等身大の立ち位置から、同世代に向けて、そして彼女自身に向けて歌っていました。本誌としてはそこをはき違える訳にはいきません。なぜならこのアルバムは、09年~10年のわが国における20代の労働環境を象徴する唯一の音楽作品として、歴史的な意義を持ち得るからです。

もっともその後、彼女は当時の世界観をさらに羽ばたかせ、『足長ミッシェル』『We are JAPANESE』など、働く人たち全般への愛に溢れた楽曲を生み出し続けているので、そういうおやじファンがいても全く不思議ではありませんし、否定もしません。

しかし、このアルバムに出てくる「僕」や「あなた」は、その言動からしても、少なくとも40~50代とは考えにくい“若者”です。30代としても間違いなく前半、そのノリはまだまだ学生の延長のようです。そんな若者がリストラにもがき苦しみ、「働く意味はまだ分からないけど、働かせてくれ!土下座でも何でもするから…」と上司に懇願する―。歌にしなければならないくらい、そういう現状があるんだということを訴えたかったのかも知れません。そしてきっと彼女は間接的であれ、その状況を目の当たりにしている。自分が、もしくは彼氏が、友人知人が、そういう状況にならなければ書き得ないような、切実なまでのリアルさを内包した歌詞なのです。

彼女がなぜこうした曲を作り始めたのかは、今後やはり彼女自身の言葉で世に出ていくべきだろうと思います。しかし優れた表現者ほど、時代の空気を読み取り、その感性を作品に昇華することができるし、また昇華させたいと願うもの。だからこそ、門谷純というアーティストが当時このアルバムで表明した立ち位置に本誌は共感するのです。

TVは相変わらず、現実から目を背けるように…むしろ現実など存在しないかのように、つまらないアイドルのつまらない音楽を垂れ流し続けています。今、本当にリスナーが聴きたいのは、こうしたストリートから発せられる「主張」をもった歌なのではないでしょうか。