DSC04701今年の春先に、私は伏見区から左京区に引っ越しました。以前は伏見でもかなり南のところに住んでいましたので、正直「京都市内」という感じではなかったのですが、これで堂々と「京都に住んでいます」と言える条件が整いました。

さて、引っ越してすぐに、町内会の仕事を教えられました。この仕事のなかに「町内のお地蔵さんのお世話」というのがありました。はじめそれを知ったとき、歴史もそれなりにある町内なので、大事にされているお地蔵さんがあるのだろう、まさに京都市内に引っ越してきたんだな、という程度のことを思っていました。ただ、この印象を越える驚きがこの後あったのです。

そのような大切にされているお地蔵さんを一目見ようと、近所に探しに行ったのですが、あるわあるわ、たくさんのお地蔵さん。自分の住まいの半径50メートル程度の範囲に、少なくとも5ヵ所はお地蔵さんがいたのです。「どのお地蔵さんのお世話をしたらええねん」と思わずつっこんでしまったのですが、どうやら各町内に一つはお地蔵さんがあるようなのです。

よくよく考えてみると、関西とりわけ京都では「地蔵盆」という行事が8月に行われます。これは地蔵信仰を背景にした供養会が由来ですが、主に子どもが主役となるお祭りです。その行事の中身については町内によって多少の違いはありますが、まず、お地蔵さんの汚れを洗い、化粧直しが行われます。次に品物が供養されます(主にホオズキ、カボチャなど)。飾り付けが終わると、子どもたちに余興が行われ、お菓子や果物が配られます。スーパーなんかでも、この時期は地蔵盆セットとしてお菓子の詰め合わせが売っていたりもします。

地蔵盆やお地蔵さんの数――京都市内で8千から1万に及ぶといわれる――からわかるとおり、京都とお地蔵さんには深い関わりがあります。

さて、そもそも京都とお地蔵さんはなぜこれほど密接な関係があるのでしょうか。この質問に明確に答える力は筆者にはありませんが、その説明をする前に地蔵信仰について少しばかり説明が必要なように思います。

まず、お地蔵さん(地蔵菩薩)は、地獄に堕ちた人を救済してくれるといわれています。近現代の社会において地獄は大変遠いものになったと思われますが、とりわけ中世時代の地獄に対する恐怖は貴族・民衆ともに大変強かったと推測されます。

この地獄との関係が、京都とお地蔵さんの数との関係を説明できる一つの鍵となるように私は思います。華やかな京都のイメージからは連想されませんが、実は、京都は地獄に関係する場所が今でも多く残っています。有名なところでは、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ、東山区)でしょうか。ここは現世と別の世界の境目と言われ、ここから小野篁(おののたかむら)が閻魔王宮に通ったとも伝えられている場所です。

平安京以来、早くに都市化した京都は、様々な動乱、天変地異という地獄ともいえる出来事が多々ありました。その中で、地獄から救済してくれる地蔵菩薩への信仰が民衆レベルでも広がり、根付いたのではないか――私はそのように考えています。京都には、まち自体に地獄の記憶が刻まれているといえるでしょう。

そして、このように地獄が今もまちのなかに遮断されずに存在していることが、京都と他の都市、とりわけ東京を切り離すポイントになると言えそうです。中世において、地獄は人々の精神と現実の生活に根付いていました。しかし近現代の社会において、現実の生活に地獄が連想されるようなことは、ほぼ駆逐されたように思います。だからこそ、今でも地獄の記憶が都市に残る京都からは、訪れた誰もが異様で個性的な何かを感じることができるのではないでしょうか。

※写真は太閤地蔵とも呼ばれるお地蔵さん(左京区)。高さは2メートルあり、ひとりでに動くという伝説があります。
◆参考文献
竹村俊則『新版京のお地蔵さん』2005年、京都新聞出版センター。
末木文美士『朝日新聞2011年8月29日夕刊』「仏典に学ぶ 日本1000年の知恵」

こばよし
こばよし/京都府宇治市で育つ。都内の大学院卒業後、現在京都府内で勤める。京都出身であるが、京都市内の育ちではなく、厳密な意味で「京都人」ではない。そのため京都への思いは複雑らしい。