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ここ数年で「アラサー」「アラフォー」などの言葉が一気にブレイクしましたが、多くのアラサー世代を含むCAZANA読者にとって、ビジネス・趣味・家庭などなど、この時期をいかに過ごすかによって今後の人生が決まってくるといっても過言ではありません。とはいえ、目の前のことをただやみくもにこなすだけではいけません。環境変化に対応できず、ビジネス社会に激しく吹きつける合理化の風に、あっけなく吹き飛ばされることになってしまいます。

そこでこの連載『アラサー時代の偉人伝』では、少しでも効率的にアラサー時代の生き方を学ぶため、歴史に名を残した偉人たちが若かりし時をどう生き、それが後半生にどのように反映されたのか、そしてそこから私たちアラサー世代が何を教訓にすればよいのかを明らかにすることで、現代社会にも生かせるエッセンスを絞りだしていきたいと思います。

聯合艦隊司令長官 山本五十六

というわけで、少し前置きが長くなってしまいましたが、記念すべき(?)第1回は、山本五十六。太平洋戦争時、連合艦隊司令長官を務めた大人物です。昨年末にこの人を主人公とした映画が公開され、あらためてその類稀なる人間性に注目が集まっています。

20~30代の山本五十六

後に連合艦隊司令長官として日本海軍の命運を握る立場に立つことになる山本五十六ですが、若かりし頃(20代~30代)の行動を振り返ると、氏の後半生の生き方・行動につながる出来事が多くみられます。

今回は、その中でも特に重要なものを3つピックアップしてみます。

◆1905年(明治38年)・・・日本海海戦に参加(当時21歳)
日本海軍が圧倒的勝利を収め、NHKドラマ「坂の上の雲」でも有名になった日本海海戦ですが、実は山本五十六はこの海戦に参加していました。もっともこの時点では海軍に入って間もない時期であったため、一海兵としての参戦にとどまっています。

ただ、ここで重要なのはこの海戦に参加したことではなく、この次に参加した実戦がなんと太平洋戦争そのものだったことにあります。

このこと自体は、太平洋戦争当時の海軍上層部の多くに該当する話であり、五十六が特別戦争への関わりを避けてきたということではないのですが、日本の命運がかかった戦争の総司令官が、実は実戦経験がほとんどなかったという事実は、仕方無いこととはいえ結構ショッキングですね。

◆1919年(大正8年)・・・アメリカ駐在、ハーバード大学に留学(当時35歳)
山本五十六は35歳のときから2年間、英語の習得を目的としてアメリカに駐在(留学)していますが、その際に石油をはじめとした豊富な資源や工業をはじめとした生産力の高さなど、アメリカの高い国力を目の当たりにしました。

その中でも、アメリカの航空機産業に特に強い印象を受けており、これがきっかけとなり、帰国後に海軍の航空隊育成に力を注ぐことになります 

◆1923年(大正12年)・・・ヨーロッパ各国の視察(当時39歳)
第一次世界大戦後の世界情勢を見聞する目的でヨーロッパを視察したのですが、ここではその中身ではなく、視察中のあるエピソードに山本五十六の考え方につながる話があるので、そちらを紹介します。

実はこの人、無類のギャンブル好きで、暇さえあればギャンブルをしていたことで知られています。この時も、視察中にモナコに立ち寄ると、早速とばかりにカジノに突入してしまいました。その結果はというと…あまりに勝ちすぎため日本人初の出入り禁止という栄誉(?)を手に帰国しています。

そんな氏がギャンブルに勝つ秘訣について、「私欲を挟まない。科学的数学的でなければならない。冷静に観察し、計測すれば必ず勝つ機会が判る」と語ったとされていますが、ギャンブルに限らず、日ごろから物事を冷静かつ客観的に評価しようとする氏の姿勢がうかがえる逸話と言えるのではないでしょうか。

では、こうした氏のアラサー時代の経験は、実際に後半生においてどのように活かされ、あるいは影響したのでしょうか。(つづく)

YUKI
ゆうき/愛知県で生まれ育つ。現在は県内の某自治体で勤務。世間の公務員バッシングと実際の業務のジレンマに悩みつつも、住民の幸せと自分の幸せの両立を目指し、日々の仕事に励む。
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