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前編では山本五十六のアラサー時代における行動・出来事をいくつか取り上げましたが、こうした貴重な経験が、氏の後半生においてどのように活かされ、あるいは影響していったのでしょうか。

◆海軍航空隊の育成者としての山本五十六・・・業務上の専門分野の確立
先ほども触れましたが、山本五十六はアメリカ駐在中に航空機産業に強い関心を持ち、日本に帰国してからはこれまでの戦艦中心の海軍から空母による航空戦を中心とした海軍に変えていくため、日本海軍の航空隊の育成に積極的に取り組んでいます。

当時は海軍の軍縮が世界的に進められ、戦艦の製造が困難となっていたという事情もあったわけですが、それを差し引いても彼が育てた日本海軍の航空隊が、太平洋戦争開戦時において質量ともに世界トップレベルにあったことは事実であり、その先見の明は高く評価されるものだと思います。      

◆対米戦争反対論者としての山本五十六・・・業務上のスタンスの明確化
また、アメリカ駐在中にアメリカの国力を目の当たりにしたことの影響からか、帰国後の山本五十六はアメリカとの戦争に反対する立場に立ち、ドイツ・イタリアとの三国同盟を結び開戦に突き進もうとする海軍首脳部や陸軍と激しく対立しました。彼が連合艦隊司令長官となった理由の一つが、この対立による暗殺計画を避けるためであったとさえ言われています。

ただし、彼が戦争に反対した理由はアメリカとの国力差から長期戦になれば勝ち目がないと判断したためで、現在公開中の映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』でイメージされているように、平和主義者として戦争に反対していたわけではないことを補足しておく必要があります。事実、開戦已む無しという状況になった際、「一年二年の間なら、思う存分暴れてみせましょう」と発言したと言われています。

◆総司令官としての山本五十六・・・業務遂行における性格の影響・経験不足による限界
対米戦争に反対する立場を取りながら、結果として対米戦争の最高責任者として太平洋戦争に臨むこととなった山本五十六でしたが、先に触れたとおり長期戦では勝ち目がないと判断していたことから、あくまでも短期戦に持ち込むことを基本戦略としており、実際の作戦も真珠湾攻撃やミッドウェー海戦をはじめ、「イチかバチか」のギャンブル的要素が大きいものとなっています。

この点は彼の生来のギャンブラー的な気質が影響した面もありますが、その一方で総司令官としては決定的に実戦経験が不足していたことも見逃すことができない事実です。

実際、山本五十六は司令長官としての戦術能力については知名度ほど評価をされておらず、事実としてミッドウェー海戦で敗北して以降、大半の海戦でアメリカ海軍に敗北し、最終的には彼自身が狙われ、戦場で命を落とすことになります。

聯合艦隊司令長官 山本五十六

アラサー世代が生かすべき教訓とは?

今回は山本五十六の生涯を取り上げましたが、ここから私たちアラサー世代のビジネスマンが学ぶべき教訓が2つあります。

1つは、「今後数年間の仕事やプライベートにおける経験が、自分の仕事や考え方の土台となる可能性が高い」ということ。また、これを踏まえた逆説的なもう1つの教訓として「今後数年間で経験できない分野については、能力的な限界が生じる」ということです。
 
これらの教訓を生かすとすれば、専門分野を極めるスペシャリストを目指すのか、より幅広い分野を経験してゼネラリストを目指すのか…それぞれが自分の適性を考え、自ら選択していくことが、アラサー世代のビジネスマンに求められている姿勢と言えるのではないでしょうか。

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
――山本五十六

YUKI
ゆうき/愛知県で生まれ育つ。現在は県内の某自治体で勤務。世間の公務員バッシングと実際の業務のジレンマに悩みつつも、住民の幸せと自分の幸せの両立を目指し、日々の仕事に励む。
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