私は京都府の中でも南部と言われる宇治生まれですが、しばしば宇治は京都ではないと言われます。そんなわけで、出身地を聞かれたとき「京都です」と応えるのについためらいを感じてしまいます。

そんな宇治育ちの私ですが、小さい頃はそのような気負いもありませんでした。しかし、年を重ね、交友関係が広がるにつれ、「宇治は京都じゃないでしょう」と言う人に遭遇し、いつしかためらいが生じてきたように思います。実際、多くの宇治市民は、京都市内の中心地の四条に出向くときに「京都に出る」「京都に行く」と言います。そもそも市民の意識として、宇治は京都の外だと思っているわけです。

ということは、逆に「宇治は京都ではない」という人の多くは、真の正統な京都のイメージを持っているといえそうです。そして、そのようなイメージを持つ人の多くは、古くから京都で生まれ育った人…つまり「真正京都人」です。

では、そのような真正京都人がイメージする京都の地理的な範囲はどこなのでしょうか。今回は思い切って、まわりの京都市内生まれ、京都市内育ちの方々に直接聞いてみました(縛りとして、3代以上が京都市内生まれを条件としました)。


京都の範囲
<北>
北は北大路通というのが多数派でしたが、なかには今出川通だという強者もいました。今出川だとするなら、同志社大学すら京都ではないことになってしまうのですが…。

<西>
西は四条通より北は西大路通り、南は千本通だという回答が多かったです。そして口を揃えて出てくる単語が「御土居」という言葉。豊臣秀吉が京都を囲むため作った土塁のことですが、これが今でも西の境界のイメージとなっているようです。

<南>
南は、九条通…つまり京都駅の南までが意識としてあるようなのですが、線路があることもあり、京都駅までといったところでしょうか。

<東>
東は東山区が入るよう東大路通という回答が多かったです。しかし、他の三方向は室町時代からの「京」の範囲とだいたい重なる一方、東だけはその範囲より広がっています。本来、秀吉の時代以来「京」の東の端は今の寺町通、あるいは新京極あたりが東の端=東京極だったわけで、つまり鴨川より東は京の外でした。事実、今の京都大学辺りの白川の人は、川を渡ることを「京いく」と言ったそうだ。そうなると東の端は広がっているわけですが、今の東山の発展を考えるといれて然り、という意見が多かったです。たしかに、京都の写真でよく出てくるのは間違いなくこの東山です。


というわけで、近くの京都生まれ京都育ちの数人に聞いてみたわけですが、この過程でもいくつか面白い傾向がありました。聞いた人のなかでも、この質問に特に積極的に答えてくれるのは、上京区および下京区の出身者だったのです。同じ京都市内でも、左京区の人などは宇治出身の私と変わらないくらいこの話題には無頓着でした。とすると、正統派真正京都人とは上京区、下京区そして中京区(今回は聞けませんでした…。元は上京と下京から成る)の人なのかもしれません。

また、聞き取りを通して思ったことは、京都という都市は平安時代以来、断絶のない歴史を持っているということです。都市とは多かれ少なかれ盛衰を挟み、都市として時間的な断絶がつきまとうのですが、京都は数百年の歴史が今も連続して続いています。今回の質問と同じ内容を回答者の父母、祖父母に聞いても同じような回答だと言います。京都の範囲が何代もの間、共有されているのです。おそるべし真正京都人。

さて、今回は少なくとも3代は京都に住んでいる方を聞き取り対象としましたが、一般に「10代以上住まないと京都人でない」と言われることがあります。それについて宇治出身者として、最後にどうしても言いたいことがあります。

「私はそのような10代以上続いている家の人々に会ったことがない…!」

【参照】
wikipediaには「御土居」についてと、京の地理的範囲に重要な「京の七口」についても書いてあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/御土居
http://ja.wikipedia.org/wiki/京の七口

こばよし
こばよし/京都府宇治市で育つ。都内の大学院卒業後、現在京都府内で勤める。京都出身であるが、京都市内の育ちではなく、厳密な意味で「京都人」ではない。そのため京都への思いは複雑らしい。