先月から始まった『アラサー時代の偉人伝』。歴史上の偉人たちのアラサー時代を振り返ることで、現代の我々アラサー世代がどう生きるべきかを学んでしまおうという、我ながら横着なこの企画。第2回となる今回は、現在大河ドラマで絶賛放送中!低視聴率もなんのその、じわじわと再評価の声が高まっている平清盛です。

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悪役イメージを押しつけられた平清盛

日本の歴史上初めて武士による政権を作った平清盛ですが、おそらくかなり多くの人が、「民衆の苦しみを顧みない独裁者」「傲慢で情け容赦ない悪人」などといったイメージを持っているのではないかと思います。これは「平家物語」が成立したとされる鎌倉時代から、源平合戦に勝利した源氏側(特に源義経)の評価を高めるために、平清盛をはじめとした平家側が殊更に悪役として扱われてきたことが主な理由です。

実際に、最近行われたアンケートでも、60%以上の人が平清盛に悪いイメージを持っているという結果が出ています。これでは大河ドラマの視聴率も伸び悩んで当然かもしれません。

ちなみに、とあるゲームシリーズにも出演していますが…

2012-01-08

こんな感じで、見るからに完全な悪役です(笑)。

しかし、清盛は本当に「傲慢」で「情け容赦ない」だけの人物だったのでしょうか。少なくとも彼がそのような悪評のみの人物であれば、一時とはいえ「武士による政権掌握」という史上初の偉業を成し遂げることはできなかったに違いありません。

そこで、平清盛が武士政権を作るまでに至った背景として、若い頃に何を経験し、それがどのようにして後の業績につながっていったのか。そして、それが最終的に源氏に敗れることとどういう関係があったのか。彼のアラサ―・アラフォー時代の足跡をたどりながら考えていきます。

◆祇園闘乱事件(当時29歳)・・・武士であり、貴族でもあった清盛
大河ドラマの中でも取り上げられていますが、清盛は実は天皇の子供であるといわれています。清盛の父親が天皇の愛人(妊娠中?)と結婚したという経緯があるからです。そのことが影響してか、清盛は武士としてだけでなく、貴族としての教育も受け、若い頃からから宮中に入っていました。生まれながらの超エリート戦士であったと言えるでしょう。何だか松山ケンイチの顔がベジータに見えてきました。

そんな中、清盛が初めて引き起こしたスキャンダルが、この祇園闘乱事件(1147年)です。内容を一言で言えば「延暦寺とのケンカ」なのですが、当時は仏教が半ば国教のような状態であり、その中でも特に大きな力を持つ延暦寺とケンカするというのは、非常に重大な問題でした。本来であれば政治生命を絶たれても仕方がないレベルの事態なのですが、当時の最高権力者であった鳥羽法皇の判断により、この事件における清盛の罪は極めて軽いものに留められています。

このことは、平家が有している軍事力の影響もさることながら、清盛自身が法皇から高く評価されていたことが大きな要因となっています。つまりこの時点で、清盛はすでに当時の権力構造であった天皇中心の貴族社会において、一定以上の評価を受けていたことが分かります。

◆保元の乱(当時39歳)・・・政略=◎ 戦闘=?
清盛が平家の棟梁として臨んだ初めての合戦が、この保元の乱(1156年)です。こちらも簡単に言えば「天皇家(後白河天皇と崇徳上皇)の兄弟ゲンカ」です。保元の乱では、天皇家・摂関家(藤原家)のボディーガード的な役割をしていた平氏・源氏が、

【天皇側:平家主力(清盛)+源氏一部(源義朝)】 VS 【上皇側:平家一部+源氏主力】

といった感じで分かれて戦っていますが、実際の戦闘に積極的に関わっていたのはいずれも源氏側であり、特に清盛については特別な活躍をしていないというのが実情です。

もっとも清盛は、自分が棟梁を務める平家の主力が勝者側に参戦し、それ自体に政治的価値を持たせることこそが重要であり、戦闘での活躍にはさほどの価値はないと考えていました。その証拠として、戦後の恩賞などでも平家側が実際の戦闘で活躍した源氏側よりもはるかに優遇されたものとなっており、清盛がいかに政略を重視し、これを巧みに行っていたかが表れています。

◆平治の乱(当時42歳)・・・武士階級の否定
保元の乱から3年後に起こった平治の乱(1159年)では、貴族間の権力争いという背景があるものの、先の保元の乱とは異なり、平家(平清盛)対源氏(源義朝)という構図が明確になっています。後の源平合戦のプロローグ的な戦いといえるでしょう。

結果としては、戦力で圧倒的に優位に立つ平家が勝利することになるわけですが、ここで重要なのは戦後処理とその後の清盛の動きについてです。

1つは、合戦に敗れた源氏側の主要人物の追討を徹底し、壊滅状態に追い込んだことです。これにより、平氏以外の武士が存在することを事実上否定する状況を作り出しました。そしてもう1つ重要なポイントは、清盛自身が朝廷の中枢にかかわる地位に立つことで、平氏による朝廷支配に踏み出したことです。これ以降清盛は、平家を武士階級から貴族階級へ移行させることを目指すことになり、自ら武士階級としての地位を否定していくようになりました。

では、このような超エリート・清盛の20代後半~40代前半の頃の経験や行動が、氏の後半生および清盛死後の平家の盛衰にどのような影響を及ぼしていったのでしょうか。(続く

YUKI
ゆうき/愛知県で生まれ育つ。現在は県内の某自治体で勤務。世間の公務員バッシングと実際の業務のジレンマに悩みつつも、住民の幸せと自分の幸せの両立を目指し、日々の仕事に励む。
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