kt002b
前編で明らかにした通り、平清盛は武士である平家に生まれながら、若い頃から貴族社会への関わりも深かった超エリートだったわけですが、このような氏の出自や経験・行動が、後の半生および清盛死後の平家の衰退に大きな影響を及ぼすことになります。

清盛が招いた平家の栄華と没落

◆既存の体制を活かした発展・・・武士・貴族の頂点に君臨
清盛は武士の代表としての地位を活かし、日本の軍事・警察機能を一手に支配しながら、さらに後白河天皇(のちに法皇)との関係をバックに貴族社会の中枢にも巧みに入り込み、最終的には武士社会と貴族社会双方の頂点として君臨するまでになりました。

若い頃から武士・貴族双方に求められる要素について学び・経験する機会を得たことで、清盛はそれぞれが持つ強みを十分に理解しており、それを双方の体制に取り入れながらも、仕組みそのものは崩さずに活用する手法をとったことで、円滑かつ短期間での自らの権力基盤の構築につなげたのです。

◆自らの立ち位置を見失ったことによる没落
しかしこの手法は裏を返すと、既存の体制との調和関係に依存する要素が大きく、不安定なものでもありました。「驕れる平家は久しからず」という格言が残されている通り、いつしか清盛をはじめとした平家は自分たちの力を過信し、双方の立場の人間を軽視するような行動を取るようになりました。このことが、結果として武士側・貴族側の反平家勢力を結託させ、後の源平合戦に至る最大の原因となりました。

そして、さらに見過ごせない点は、平家の後継者に対し、清盛は貴族に特化した教育を行い、本来の自分たちの立ち位置である武士としての教育を軽視していたということです。武士階級から貴族階級への移行という目的あっての方針ではありましたが、武力を失った平家は、もはやただの「成り上がり貴族」に過ぎませんでした。

こうして、「既存の体制との調和」と「武力」という自らの強みを失った平家は、清盛死後の1185年、壇ノ浦の戦いの敗北により滅亡。「盛者必衰の理」を表す、まさに教科書通りの命運を辿ってしまいました。

以上を振り返ってみると、清盛は生まれながらの超エリート、いわゆるお坊ちゃんであり、しかも天下取りの経緯のほとんどがいわゆる「政局」だったことが分かります。ゼロベースから武力による天下統一を目指した信長や秀吉に比べ人気に勢いがないのは当然で、そう考えるとドラマ視聴率が伸び悩むのも仕方がないことかもしれません。争いや階層にこだわらず、交易で社会を豊かにしようと説いて回った清盛の人間的な魅力と、出自にまつわる葛藤にスポットを当てる、製作サイドの力量に大いに期待したいところです。

平 清盛 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

アラサー・アラフォー時代の清盛から学ぶべき教訓

今回は大河ドラマにちなんで平清盛を取り上げてみましたが、彼のアラサー・アラフォー時代の行動・経験から、我々カザーナ世代は何を学ぶべきなのでしょうか。私からは以下の2点を挙げたいと思います。

1)早期の目標達成のためには、既存の仕組みを活用するべし   
2)自分の強み・立ち位置を常に振り返るべし

あくまで私見ではありますが、大河ドラマをこのような視座から見ることで、また違った清盛の一面が見え、今後の展開も楽しめるのではないでしょうか。

祇園精舎の鐘の声  諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色  盛者必衰の理をあらわす
おごれる人も久しからず  ただ春の夜の夢のごとし
たけき者もついには滅びぬ  偏に風の前の塵に同じ
―――平家物語

YUKI
ゆうき/愛知県で生まれ育つ。現在は県内の某自治体で勤務。世間の公務員バッシングと実際の業務のジレンマに悩みつつも、住民の幸せと自分の幸せの両立を目指し、日々の仕事に励む。
mixiキーワード:oblivious_sky