「もちろん環境調査で幾度となく海に潜ったりはしてきたよ。珊瑚の破壊状況についてとか、いろんなことを見てきた。で、そこでおれは政治的に反対賛成どうのこうのっていうよりも、学者として常に科学的な根拠を示してはきたよな。そういう中で、例えば昔から飛行場を作る時は、その土地の風向きだとか最大風速だとかを考慮するわけだけど、それって実は全部風水なんだよ。」

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『環境学者』の目崎茂和

―――その後、“サンゴ礁学”に特化される形での自然環境学が、琉球大学における先生の主要な研究テーマとなっていくわけですが、沖縄にはもともと「環境」という言葉がなかったんですよね。で、実は環境の代わりに日常的に使われていた言葉が「風水」だった…。

目崎:でもそれは沖縄だけじゃなくて、実は日本で環境っていう概念が確立されたのは近代に入ってからなんだよ。それまで日本では、環境を表す言葉として「風土」が使われてきた。もともとは中国の晋の時代から輸入されてきた言葉・概念なんだけど、明治時代に和辻哲郎が『風土』っていう本を出して、これが結局、日本文化論の代表みたいな位置付けになっていくんだよな。そういう意味で、環境って言葉はすごく新しい。

―――環境の「環」っていうのは何でしょうね?何かを表しているんでしょうか?

目崎:環は「わっか」。わっかっていうのは、もともとは天を表している言葉なの。だから日本を「わこく」っていう時に、日本人は「輪」を使いたがるんだけど、当然だよ。「倭」は差別用語だからな。これ、ちっちゃい女っていう意味だから。ちっちゃい女の国ってことだからと言って、それが卑弥呼を表しているかどうかは分からないんだけどな。「邪馬台国」っていう字もそうだけど、「卑弥呼」なんて字、どう考えたって差別用語じゃん。中華思想で言ったら日本は植民地だっていう認識だから、そういうことになっちゃうんだろうけど。

―――あの当て字はやっぱり中国が?

目崎:そりゃそうさ。もともとは卑弥呼とは読まなかった。日本人が、ヒミコって呼ぶようになった。それで日本人は日の巫女って書くようにしたんだから。それが天照の日の御子に変わるわけだよ。

―――今、沖縄では、例えば米軍の普天間基地移設の問題がありますが、こういった沖縄の政治的な課題についても、先生は環境学的な視点からの提言をされて来られたのでしょうか?

目崎:もちろん環境調査で幾度となく海に潜ったりはしてきたよ。珊瑚の破壊状況についてとか、いろんなことを見てきた。で、そこでおれは政治的に反対賛成どうのこうのっていうよりも、学者として常に科学的な根拠を示してはきたよな。そういう中で、例えば昔から飛行場を作る時は、その土地の風向きだとか最大風速だとかを考慮するわけだけど、それって実は全部風水なんだよ。

―――風水の思想を咀嚼しないと、沖縄の環境問題は解決できない…?

目崎:できない。もともと琉球王国は風水によって国づくりをしていたわけで、風水の思想が根付いている土地だから。その理由だって、琉球王国と中国との歴史的な関係から、日本を経由しないで直接「風水」の思想が沖縄に伝わっていたからでさ。そういう地理学的・歴史学的な経緯を無視して外からああだこうだ言ってみても、やっぱり難しい部分が出てくるっていうことなんだろうな。

―――そんな中で、当時の琉球大学は自然科学系の研究者が決定的に少なく、先生たちのように本土から赴任した研究者には、自然科学のあらゆる分野に責任を持つことを求められたとか…。

目崎:そうそう。ちゃんと調べてくれてるんだなぁ。

―――おそらく相当なご努力があったのではないかと。先ほどは「苦労はなかった」っておっしゃっていましたけど…先生は常にその場その場の環境を受け入れて、しかも完全に自分の得意分野にされていますよね。

目崎:そうそうそう。で、すぐにその分野の第一人者になる。三重大に赴任する直前に沖縄でサンゴ礁の講演をやったんだけど、朝日新聞で天声人語書いてた辰濃和男っていう有名な作家が、たまたまその講演を聴いてくれていたみたいで、いつだったか天声人語にその日の内容を載せてくれたんだよな。それでおれの評価がガラッと変わったの。入った当初に比べてね。三重県庁とか三重大の教授とか、みんな朝日読んでるから。

―――先生、いつも職場を移られた時はアレですけど、中に入られてから評価が変わるんですね。

目崎:うんうん。だってみんな知らないもん、おれのこと(笑)。(続く