シャンデリア
先日、以前の職場の同僚に誘われ、婚活パーティなるものに参加した。男女それぞれ20名前後、ちょっとお洒落なレストランで行われたそれは、良くも悪くも私の婚活に大きな疑問を投げかけるものとなった。

本格的な婚活パーティに参加したのはこれが初めてだった。

最初に名札と、自己紹介カードにプロフィールを記載する。自己紹介カードには年齢、職業、趣味、好きなタイプ、男性の場合は年収などを書いておき、会話をする際に交換、それに目を通しながら会話をする…という形式だ。長机に向かい合って座り、1人あたり3分くらいずつ会話をする。時間が来ると男性は一つ隣の席へ。それを何度も何度も繰り返し、その後はフリータイム。気になるお相手とはそこでさらに会話をする事ができる。最後はそれぞれ気になるお相手の番号を書いた紙を提出し、そこでお互いに選んだ相手が合致すれば、見事カップル成立という流れである。

「な、なんじゃこりゃあ!」松田優作も驚くほどの激しい衝撃が、私の中を駆け巡った。この有様はまさに“工場”。カップル生産工場ではないか。

PTAの会長みたいなオバさんがエレガント臭を振り撒きながら司会をしているのだが、参加者がこのような事務的・機械的空間にどうにか違和感を抱かぬよう、決死の盛り上げを仕掛け続ける。エレガントに振る舞ってはいるが、内実は必死そのものだ。

まるで新興宗教の集会に紛れ込んでしまったかのような、とてつもない違和感。言うなれば、夢の世界の裏側でほくそ笑むネズミのような、何ともいかがわしい気配に満ちた空間。残念ながら、その日は結局この違和感が最後まで払拭されることはなかった。


 

誰しも結婚に際しては、何かしらの条件があることだろう。さらに歳を重ねるごとに、自分の中でそのハードルが上がっていき、男性を見る目が徐々に厳しくなっていくのを私自身も感じている。

確かにナースであるという時点で、夫婦共働きを希望している男性にとても受けが良いのは事実だ。また、よく既婚者の口から語られる「結婚と恋愛は違う」ということも、理屈では分かっていたつもりだった。が、正直ここまで条件先行型で割り切って来られると、何だか人生の切なさや虚しさ、時にやりきれなさまでもが込み上げて来てしまい、どうしてもそこから先に進もうという気がなくなってしまうのだ。

そんな空間で2時間ほど過ごした後、最終的に私が達した結論。それは「婚活パーティなるものは、おっパブに近いものである」ということだ。そう、乳ありきの“会話”であり、乳ありきの“人間性”なのだ。

私はいったい何を目指しているのか―。そんなやさぐれた気持ちを抱いていた頃、友人たちと飲みに行く機会があった。

気心の知れた友人と食事を囲み、美味しいものや話題を共有する。婚活には直接関係ないかもしれないが、こうした穏やかな時間を過ごすことで、改めて婚活について考えさせられた。

婚活に必死になればなるほど条件先行となり、無意識のうちに相手の人間性が後回しになってしまう。しかし、結婚は男女の前に、人対人のコミュニケーションから成り立つもののはずである。男女双方において条件先行型コミュニケーションが行われてしまっていることが、巷で「婚活疲れ」や「婚活うつ」の流行が囁かれている根本的な原因なのではないだろうか。

婚活に疲れてしまった読者の方は、一度原点に立ち戻って、来し方行く末を考えてみることをおススメしたい。

大須ぱる子
おおすぱるこ/愛知県出身・在住の現役看護師。幼少期の得意技はとび蹴り。男運悪し。好きなもの、エヴァ・猥談・牛すじカレー。時々白目、時々昇龍拳。