「あの頃ね、500万円を胴巻きにして移動してた。治安が悪くて、銀行に仕送りできないから。でも、ペルーには東京銀行があったんだよね。だから「利息はいらねえから」って言ってようやく預けられたけど、次にヒマラヤに行った時はそういうのもなくて。だからナップザックの中身は全部紙幣。札束だった」

一冊で世界地理と日本地理をのみこむ本

『移民研究者』の目崎茂和

―――先日、京大で「イスラム圏と風水」について講演されていましたよね。

目崎:そうなんだよ。頼まれたんだよ。京大のイスラム研究会からな。

―――イスラム文化圏と先生ってあんまり結びつかないのですが…。

目崎:ずっと昔、砂漠の調査でアルジェリアとか行ってたから、イスラム圏は結構回ってるんだよ。トルコもイスラムっちゃそうだし。まさに環境学者の醍醐味ってわけじゃないけど、学者としておれくらい勝手にあっちゃこっちゃ旅しながら記録を取ってきた人間もそういないんじゃないかってな(笑)

―――やはり海外調査は琉球大学時代が一番多かったのでしょうか?

目崎:うん。一番最初に行った国が、南米3カ国、90日。1979年かな?ペルーにひと月半いて、アルゼンチンにひと月くらいいて、その後ブラジルにまたひと月位いたからな。沖縄移民の研究だったんだけど、その時ついでにアンデスとかナスカとかマチュピチュとかも回ってきちゃった。

―――パワフルですね!

目崎:あの頃ね、500万円を胴巻きにして移動してた。治安が悪くて、銀行に仕送りできないから。でも、ペルーには東京銀行があったんだよね。だから「利息はいらねえから」って言ってようやく預けられたけど、次にヒマラヤに行った時はそういうのもなくて。だからナップザックの中身は全部紙幣。札束だった。

―――札束を背負ってヒマラヤに登ったんですか??

目崎:だってポーターとかシェルパとか、週ごとに「給料くれ」って言うんだよ。自分が食うもんがないから、町で買うために。

―――じゃあ、その場で給料を現金で渡していた…。

目崎:そうそう。で、そういう時に彼らが「前借りさせてくれ」って言う場合は怪しくて、少しあげるとね、トンズラするんだよな。それ持ってふるさとに帰るんだよ。研究で移動して、ふるさとの近くになってくると、みんなソワソワしてきて(笑)。わざわざ前借りして、親にお金を持って行きたいというね。

―――移民研究のお話は、先生からあまりお聞きしていなかったような。

目崎:沖縄から南米に移住した人って、だいたいみんな成功してるんだよ。日系移民の中で沖縄は早いんだよな。ブラジルに行った笠戸丸なんかには、実は沖縄系移民が3分の1くらい乗っかってるんだよ。

―――そんなに!なんでそんなにいたんでしょうか?

目崎:貧しかったからだよ。ところがブラジルまで行くわけだから、渡航費もバカにならないわけだ。だから乗客はほとんどが男で、それも長男。出稼ぎと同じだった。家中の金をまとめて、新天地に向かう長男に託したんだな。あと、それとは別なんだけど、日本からの移民の中には、被差別部落民も多かったんだ。差別されたから海外に新天地を求めようって。だからあんまり言えないけど、貧困と被差別部落問題っていうのが、実は日本の移民政策の根底にあるっていうな。

―――貧困と差別…極限状況下での選択だったんですね。

目崎:で、この問題も、実は風水的に捉えると見えてくることがあって。例えば昔はどの城下町も鬼門の方向に被差別部落を作ったんだよ。いわゆる「河原者」な。だから京都の御所から見て、鴨川とか、鴨川筋で出雲阿国が生まれただろ?あれ、みんな被差別部落民なんだよ。で、鬼門に置かれた彼らは“鬼”の役割をする。鬼ヶ城なんていうのも、まさにそういうプロ集団が置かれたっていうだけのことであって。江戸時代でも基本的に無税だったりな。だけどさ、ゴミの処理とか屠殺の処理とか…みんなが毛嫌いすることをしてくれる人がいなかったら、当時の社会は回っていかなかった。

―――日本でそうした貧しさや差別に耐えた人たちの多くが、移民先で成功していた…。

目崎:だからおれはそういう人たちに、今の暮らしとライフワークを聞いて回ったんだよ。移民研究を続けていると、小説家になりたいって思うことが度々あるよ。論文で書くよりも、一話一話を物語としてね。あの時に仕入れた物語はまだ沢山残ってるから。今でも暇を見つけては、コラムに書いたりしてるんだけどさ。(続く