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先日、雷連(旧・浅草写楽連)の活動を取材させて頂いた。雷連(かみなりれん)は、“阿波の国”徳島を発祥とする、いわゆる「阿波踊り」を正統継承しているグループのひとつだ。阿波踊りをやっているグループは全国でも無数にあり、写楽連はもともと高円寺の阿波踊りグループであった。それから活動拠点を浅草に移し、浅草写楽連として活動したが、今年雷連として再スタートを切ることになった。

阿波踊りは「精霊踊り」「念仏踊り」に起源があるとされ、400年以上の歴史があるが、その詳細は明らかにされていない。何せ庶民から庶民に引き継がれた踊りである。すべてがフィーリングと手探りの中で継承されてきたと言っていい。非常に日本人らしい、ファジーな文化なのだ。

「ヤットサーヤットサー」「1かけ2かけ3かけて、しかけた踊りはやめられぬ。5かけ6かけ7かけて、やっぱり踊りはやめられない」といった掛け声のもと、練習が始められた。

雷連には、上は89歳から下は小学生まで、幅広く人材が揃っている。特に、中学1年生の女の子の踊りにはセンスが感じられた。鳴り物にも多数の人が参加し、鉦・大胴・締め太鼓・笛・三味線などがある。また、雷連では高い音が出る鳴り物として、昔は竹も使われていたが、現在ではパーカッションが使われている。

練習風景は和気藹々というのにふさわしく、笑い声の絶えない場であった。しかし、通し稽古となると、みなが真剣な顔つきで手を振り、腰を落とし、うちわを翻して踊っていた。鳴り物は早いテンポになるところでは皆がしかめっ面をして、懸命に鉦が先導するリズムに合わせていた。

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その後には反省会と称する飲み会にも参加した。

メンバーの一人が「ここからが本番だよ」と耳打ちしてきた。酒が入るとみなが真剣に間の取り方を確認しあい、上手い踊り手からの指導を受け、他愛のない話に興ずる。

この時、私の中で、前回の「岩崎鬼剣舞」と今回の「阿波踊り」に共通する一つの疑問が沸き起こっていた。

人はなぜ踊るのか―。

その答えとして、二つは容易に想像できた。ひとつは、単純に「楽しいから」ということ。もうひとつは「社会の広がりを感じられるから」ということだ。

実際に副連長のさださんは、もともと伴侶が踊りをやっていたということもあったが、結婚するまで阿波踊りに興味はなかった。しかし、徳島に旅行したときに、本格的な阿波踊りと出会ってしまった。

徳島の阿波踊りは、東京における高円寺の阿波踊りとは違って、徳島市内全体が阿波踊り一色に染まり、鳴り物の響きと音色、踊り手の妙艶さに圧倒され、ビビビっと電流が走ったそうだ。

一方、先に紹介した中学1年生の女の子は高円寺に生まれ、赤ん坊のころから阿波踊りに親しみがあった。父親が阿波踊りに参加することになり、それを見ていると、女形の笠に隠れたその中に何があるのだろう、どんな練習をしているのだろうという興味があって、参加しているうちにその魅力の虜になった。

また、雷連には私と同郷の方もおり、ローカルトークに花が咲いたが、その方の参加の理由も面白かった。ふらっと入った浅草寺裏の飲み屋さん「てるてる坊主」の女将さんが誘ってくれたというのだ。氏はそれまで単身赴任をしていたせいもあって、社会が狭かったという。同郷の者は一人もおらず、会社の同僚くらいしか話し相手がいなかったところに、雷連と出会った。それによって、交友関係が10倍にも20倍にも広がったのだそうだ。以後、連同士のつながりや共演も絶えない。

社会とのつながりは、思いもよらぬところから始まるのだ。

酒も加わり、さらに熱気を帯びてきた反省会で、突如副連長が手を上げた。踊りの稽古をしようというのだ。ちなみに、ここはサイゼリヤである。

「いや、違う、それだと小手先だけのものになってしまう。手は手首からこう動かすのだ」と中学1年生の女の子と同年代(30代半ば)の壮年に教える。

「こう?」と、中学1年生が訊ねる。

「違うって、こうやって動かすんだ」

「えーどうしても指が動いちゃうよ」

「この動きができれば、指を動かさなくても指が動いているように見えるんだよ」

彼らのこの行動に、私の中で三つ目の疑問が浮かんできた。「楽しいから」「社会が広がるから」では片付けられない何かを感じたのである。

それは、身体を動かし、阿波の念仏踊りに少しでも近づこうとする「求道者」の姿勢である。

阿波踊りは、それぞれの連で独自の特徴をいれて演舞されている。しかし他の連と合同で企画をする際には、源流に流れている踊りのテンポや特殊性を知らないと、一緒には踊れないそうだ。もしそれが正しいのならば、全国の連が集まって合同企画をすれば、限りなくオリジナルに近い踊りになるに違いない。

いずれにせよ、彼らはその特徴的な踊りや掛け声をどうにかオリジナルに近づけようとすることによって、自己の内面から湧き出てくる求道心を満たそうとしているようだった。

人はなぜ踊るのか―。理由は様々だが、そこに普段の貨幣経済の中にある仕事や生活の中では決して見つけることのできない「内面の求道心」を満たす何かがあることは間違いなさそうだ。その原理は、路上でヒップホップを踊る高校生にも当てはまる。踊る人々は、人生の豊かさを身体で理解し、謳歌している。そういう人たちがまだ、この国にはいる。踊り場こそ、400年以上前から存在する日本古来の“サードプレイス”なのかも知れない。

あなたも会社と家の往復で固定化したサラリーマン生活を、一度踊らせてみてはいかがだろうか。

U
ゆう/ライター。名古屋で生まれ育つ。現在は都内某所に潜伏中。日本および世界の中でわれわれがこれから行動するための姿勢を考え、潜伏しながら取材を続ける自称過激派サラリーマン。