政権交代後も相変わらず迷走を続ける政治家たち。リーマンショックや東日本大震災などの原因で低迷を続ける経済状況。そんな混沌とした政治・経済情勢の中で、橋下大阪市長率いる「大阪維新の会」が、大阪都構想を始めとした「維新八策」を引っ提げて、日本中に大きな衝撃を与えていることは周知のことと思います。

さて、この「維新八策」。元々は幕末のヒーロー的存在である坂本龍馬が作ったとされる「船中八策」をモチーフにしており、別名「平成版・船中八策」とも言われています。

なぜ150年近く前の人物である坂本龍馬が今でもこれだけの人気を誇り、このようにピックアップされるのでしょうか。そして、現在の政治・経済の閉塞感を打破するために、この平成の時代に坂本龍馬は本当に必要なのでしょうか。

そういうわけで『アラサ―時代の偉人伝』、第3回は坂本龍馬を取り上げてみたいと思います。

龍馬伝 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)


坂本龍馬を生み出した「環境」

これまでこのコーナーでは、各人物のアラサ―時代の出来事から後半生への影響について考えてきましたが、今回もそうしようとしたところ、ある重大な問題が発生しました。そう、坂本龍馬はアラサー時代に亡くなってしまったため、このままでは後半のネタがなくなってしまうのです(汗)。

とはいえ、そんな理由で筆を折っては龍馬に申し訳ないので、今回は「子供~青年時代」の出来事から、後の龍馬への影響について考えていきたいと思います。


◆豪商一族の子として誕生・・・武士として、商売人としての龍馬(当時0歳)
龍馬が土佐藩(高知県)の下級武士である郷士の子として生まれたことはよく知られていますが、実は、龍馬の実家(本家)は土佐藩でも有数の豪商であったため、非常に恵まれた生活環境にありました。ここで、「なぜ商人の一族が下級武士に?」という疑問もあるかと思いますが、一言でいうと「地位と名誉を金で買った」ということです(!)。当時、武士は名誉職に近いものでした。裕福だったからこそ出来た荒業ですね。

というわけで、当時の「士農工商」という厳しい身分制度の中で、武士・商人という両極端の立場をもつ異端な環境の中で育てられた龍馬。その中で双方の感覚が身をもって養われ、稀に見るバランス感覚を身に付けられたことが、後の行動におおいに影響を及ぼすことになります。


◆楠山塾をクビになる・・・落ちこぼれだった龍馬(当時12歳)
幼いころの龍馬は、臆病で意気地の無い子供であったと言われています。このままでは言葉通り「武士の風上にも置けない」人間になってしまうと恐れた龍馬の親は、龍馬を近くにあった楠山塾(今でいう私立学校)に入れますが、龍馬はそこでの勉強に全くついていけず、それが遠因となって他の塾生とのトラブルを引き起こし、結局すぐクビになってしまいます。

その後、姉の乙女(今でいう北斗晶のような人だったとか…)からマンツーマンで教育を受けたことで、剣術+読み書きは身につけた龍馬ですが、少なくとも現代の私たちが学んできた「学校の勉強」的な学習能力は決して高くはなかったといえるでしょう。


◆勝海舟との出会い・・・海外への強い意識(当時26歳)
その後、江戸への剣術修行の時期を経て土佐藩における勤王運動に参加したものの、意見の相違から脱藩を決意した龍馬でしたが、脱藩後に再度江戸に滞在した際に、生涯の師ともいえる勝海舟に出会っています。暗殺するつもりで会いに行ったところ、勝海舟の話に心服してその場で弟子になったとも言われていますが、その後の龍馬は勝海舟とともに神戸に海軍操練所を作り、海軍づくりに従事する中で、海、ひいてはその先にある海外に対する意識を強めていきます。

この点は、勝海舟の影響はもちろんですが、龍馬は生家の環境などから元々海外に対する情報をある程度得られる立ち位置におり、これが海軍という具体的な形として結びついたというのが正確なところのようです。

では、これらの要素がその後の龍馬の功績にどのように結びついていったのでしょうか。そして現代日本においても、そうした龍馬のような存在が本当に求められているのでしょうか。(続く)

YUKI
ゆうき/愛知県で生まれ育つ。現在は県内の某自治体で勤務。世間の公務員バッシングと実際の業務のジレンマに悩みつつも、住民の幸せと自分の幸せの両立を目指し、日々の仕事に励む。
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