功名が辻(前編)
例えば今春の人事異動で、あなたがいよいよリーダー的な職責を担う立場(ここでは主任や課長といった役職で構いません)に昇進・昇格したとします。

あなたはきっと意気揚々たる心境に違いないと思います。しかし、実は配属部署も変わっているので、どうやら今までしてきた仕事のリーダーというわけではないようです。会社はあなたに、未知の職種でリーダーとしての采配をふるってくれることを期待しているのかもしれません。これはいささか困った事態ではないでしょうか。

そこで新米リーダーの多くは、最初に以下のような行動を取ってしまいがちです。 

・必死に前任者に食らいつき少しでも多くのことを引き継ごうとする。
・業務に精通したスタッフに頭を下げレクチャーをしてもらう。
・書店や図書館に駆け込み何か役に立ちそうな本を探してみる。


妙に焦った行動によって、せっかくのリーダーの格をいたずらに下げたくないという気持ちは分かりますが、上記に挙げた3つの行動は、一重に「業務知識の習得」といった目的に偏っています。業務知識が大切なのは言うまでもありませんが、実はリーダーがスタート時点からこれらに振り回される必要はありません。

業務知識とは、スタッフがその業務をするにあたっての一つのツール(道具)に過ぎません。極論を言えば、スタッフが気にすることはあっても、リーダーが気にする類のものではないのです。リーダーは特にスタート時においては、超然とした態度を保っているべきです。そして、業務知識よりも遥かに大切なものがあることを知るべきです。 

では、リーダーにとって、もっとも大切なものとは何でしょうか。

それは「肚(はら)」です。「腹」ではないことに注意してください。「肝が据わっている」「胆力がある」といったニュアンスに近いかもしれません。

2006年1月から放映されたNHK大河ドラマ『功名が辻』でお馴染みの、山内一豊(通称・伊右衛門)の話をしたいと思います。

戦国期の大名の中にあって、彼の存在はとりわけユニークです。彼には目立った武功などほとんどありませんでした。何千何万の軍を率いることなど土台無理な話で、何百人の郎党を取り回すのがせいぜいでした。賤ヶ岳七本槍の武勇を誇る加藤清正や、福島正則の勇猛さとは対照的です。

そんな一豊ですので、敵を諜略するような才覚など到底望むべくもありません。「その知謀軍神のごとし」と謳われた竹中半兵衛など一豊に比べたら天上人です。山内一豊とは、ただひたすらに律義で凡庸な男でした。

とはいえ、目立った働きこそ少ないのですが、小さな武功は毎回のように挙げる一豊に対し、主君の秀吉はそれなりの評価をしていたようです。お陰で一豊は掛川六万石の小大名になることができました。むろん、彼の同僚、後輩達の中には既に10万石、20万石クラスの大名がひしめいています。一豊は最古参ながら最も出世の遅れた男の一人であったのです。

結論から先に言うと、そんな山内一豊が最後には土佐24万石の大名になってしまうのです。いったい彼に何が起きたのでしょうか。

なぜ、伊右衛門は売れたのか。

まず、彼が長年にわたって育み、内に秘めてきた「経験」という武器に注目してみましょう。

(わしは古くから戦場を往来してきた。経験ではひとに譲らぬつもりだが、経験から知恵が出てくるというものではないらしい。もともと知恵とは、うまれつきのようだな)

しかし、と伊右衛門はおもった。

(わしには肚がある)

その肚もうまれつきのものではなく、場数を踏むに従って出てきたもので、いまでは事に臨んでも容易にたじろがない。たいていの変事は、その同型のものか類似のものをむかしに経験している。だから事に臨んでそれを思いだすと機が落ちつく。また人馴れもしている。どのような男に出会っても驚かなくなり、また天下の諸侯のすべては顔見知りであり、その手のうちも知っており、その能力もかれらの過去から推して、

(たいしたことはない)

とタカをくくるようになった。こういう落ちつきぶりは、やはり経験のふるさからきたものであろう。

これらの「経験」が彼にとっての強みだったのです。

極めて地味な存在ながら、ほとんどの大名と顔見知りでその手のうちを知る一豊は、大きなアドバンテージを持っていたと言えるでしょう。つまり、この「経験」こそが彼にとっての「肚」だったのです。そして、この「肚」が最も真価を発揮するときがやってきます。

それが1600年10月21日、あの「関ヶ原の戦い」です。(続く)

不破利晴
ふわとしはる/“言葉を話す動物”としての「ディスカッション」を求める、”文筆家志望”の会社員(システムエンジニア)。とはいえ、”IT”にはあまり明るくありません。ブログ「格闘する21世紀アポリア