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先月、1分間に1万個のしゃぼん玉で商店街を埋め尽くすイベントが足立区のいろは通り商店街で開かれた。足立区が「アートアクセスあだち」と名付けて去年から行っているこのイベント、今年は現代美術作家の大巻伸嗣さん考案のしゃぼん玉を使ったアート『Memorial Rebirth』がいろは通り商店街に登場した。

いろは通り商店街は北千住駅の南西に位置し、北千住駅の雑踏とは一線を画している。つまり、はっきり言って人通りは少ない。実際に行ってみて分かったことだが、北千住に来ても、ここには来ないかもしれない。残念ながら、確かにそれくらい寂れてはいた。

『Memorial Rebirth』は、そんな寂れた町を活性化するためのプロジェクトだ。大巻さんは、その中で展示空間を非日常的な世界に生まれ変わらせ、鑑賞者の身体的な感覚を呼び覚ます、ダイナミックなインスタレーション作品を発表し続けている。

今回行われたのは、以下の写真のような機械を使って、シャボン玉を上げるというインスタレーションである。

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大巻さんは語る。

作品がつくり出す幻想的で非日常的な空間は、見過ごしがちな場所に足を止め、 目を向けるきっかけとなり、まちの新たな魅力の再発見へとつながることでしょう。 現れては消えるしゃぼん玉は、普段は見えないまちの音も表しており、目を向け、耳を向け、 純粋にアートを楽しむことのできる空間をつくり出します。

実際、子供たちが寒さから解放され、雨など気にせずはしゃぐ姿がそこにあった。

―――これは初めてですか?

大巻:いえいえ、世界中のあらゆるところで行われていますよ。

―――しかし、文化にするには時間がかかるでしょうね。

大巻:10年。30年。90年。10年で文化として認知されて、30年で文化として定着する。90年でその文化の上に生活が出来上がるようになります。これで3世代ですね。このサイクルを作りたいんですよ。

―――他の地域でもされているのですか。

大巻:熊本でもやってますよ。今は、そこでその時にしか買えないグッズをどうするか考えているんです。

大巻さんは顎の運動でもするかのように口を開けて、寒い!と叫んだ。本当ですね、と私が返すと、手を差し伸べた。手を触ると、たしかに冷たい。しかし、その手はコメ農家の人のように分厚く、暖かみもある。写真からは想像できない感触だった。

その後、忙しそうに某テレビ局の取材に応じ、上からの写真を撮りたいということで、皆大巻さんの車に向かった。

私はそのまま子供たちの撮影に入った。

はしゃぐ子供たち。

傘のなかにシャボン玉を溜めてみたり、小さな手のひらいっぱいにシャボン玉を集めている。そこには確かに非日常があったのだが、それと同時に日常もあった。はしゃぐ子供たちの向こう側にはいつもの「大塚青果店」があった。いつも見ている青果店も、シャボン玉と子供たちを通すと、別の一面が見えてくる。

そして、一回りして戻ろうとすると、子供のように無邪気に写真を撮っている大巻さんの姿があった。何度も上下左右にアングルを変え、ズームアウト・インを繰り返していた。

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私たちは、やはり文化の持つ潤いに飢えているのかもしれない。

例えば、秋葉原は今や名立たる文化だと世界中でもてはやされているが、それはあくまでも「アニメ」という点から見たときの表情だ。元来持っていた電気街としての秋葉原は、今や隅に追いやられている。北千住駅の近くには、某ファーストフード店や百貨店が立ち並び、文化とは言い難い画一化されたものになっている。それでは、文化とは何か、と問われるかもしれないが、文化とは、生活に根ざし、その上で初めて生活が成り立つという逆説的な意味合いを持つものである。

大巻さんはそれを十分に理解されているようだった。そしてそれを行動に移している。90年という長い時間を経て文化へと変容していくインスタレーションは、本格的に電気街へと変容していったかつての秋葉原にも似ている。

大巻さんは、最後につぶやくようにこう言った。

「雨ときどきシャボン玉ですね。」

最初の挨拶のあと、商店街の会長が私の質問に対し、「僕の面白そうだなっていう一言から始まったんだけど、これは青年会の子達が中心に企画しているんですよ」と応えられていたのが印象的だった。

若者は新しい文化を発信し、それを文化たらしめる努力を始めている。


U
ゆう/ライター。名古屋で生まれ育つ。現在は都内某所に潜伏中。日本および世界の中でわれわれがこれから行動するための姿勢を考え、潜伏しながら取材を続ける自称過激派サラリーマン。