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「えも言えない」うちに東京の大切な風景やコミュニティ、そして文化が次から次へと失われて行く。しょんべん横丁、ゴールデン街、下北沢、そして築地。人にたとえるなら休日における不用意で情けない格好だったり、泥酔して翌日思い出すと「ああ」となるその醜態だったりする。でも、そこにその人の素顔が見え、その人を知る切っ掛けがある。

先月、「メグロアドレス―都会に生きる作家」という展覧会に行ってきた。

東京23区の中では住宅地のイメージが強い目黒区。しかし中目黒や自由が丘など若者が集う街では、独自の文化が発達しているという。また、音楽やデザインのクリエイターが事務所を構える場所でもあり、目黒通りにはインテリアショップが多いことでも知られている。

メグロアドレスは、そうした創造的な地域でもある目黒から、若い世代のアートを発信する試みである。現代の都市生活に影響を受けた、目黒と関わりのある6組のアーティストを紹介する展覧会だった。

青山悟+平石博一によるミニマルミュージックとミシンによる刺繍のインスタレーション、今井智己による目の見えない方による写真展、須藤由希子による生活圏内にある「人間の手に入った自然」の鉛筆画、長坂常による机、南川史門による抽象絵画、保井智貴による静かに佇む女性の彫刻…とにかく目白押しだった。目黒だけど。

個人的には、「都会に生きる作家」というテーマが非常に興味深かった。行く前には、彼らがどれだけのアイデンティティを持っているのかにも関心があった。全て紹介するのはさすがに誌面の都合上無理だが、簡単にひとつひとつ見ていきたい。

まず、保井智貴さんによる彫刻が我々を出迎える。2階にある展示スペースには階段で上がる。すると、二匹の犬が出迎えてくれる。どこを見ているのか、目は宙空に視線を投げかけている。

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係りの人が、「よろしければAの部屋からどうぞ」と言ってくださったので、「Aの部屋」に入ろうとすると、女性が立っている。彼女の視線もどこかを漂っているように見える。しかし、どこか惹かれる。彼女に寄って行ってみる。

素敵だ。

目はどこか春の木漏れ日のような印象も受けるし、物憂げな印象も受ける。能の面でいうところの中間表情なのだろう。

でも、間違いなく言える。彼女は僕のタイプだ。

彼女は清楚で、自分を全面的に出すところがなく、それでいて自分を持っている、ように見える。たぶん僕好みの性格だ。

実はもう一人、別の場所にいる。彼女の方はどこかエロティックで、実際に豊満な身体つきをしている。

残念ながらすでに展示期間は終了してしまっているのだが、もし別の機会があれば、是非見に行ってみてもらいたい。たぶんどちらかには惹かれる。恋をする。

進むと、今井智己さんの作品が見られる。氏の作品はどれも目の見えなくなった人が介助員の手を借りて、「ここには川が流れていますよ」などと助言を受けながら写真を撮っている。「写真が必要とされない地点から写真を考えはじめる」と言う。写真とは何なのか、氏は考えられる。「いや違う。見るということは言葉であり記憶かもしれないけれど、写真は言葉じゃないし記憶じゃない。では写真を見るということは…」反駁する自己の二項対立が感じ取れる。

別の部屋に行くと、鉛筆で書かれた繊細な絵が飾られている。それは、須藤由希子さんの作品だ。

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「東京のど真中、何代も前からずっと住んでいたお家を取り壊してビルにする際に、記念に絵を残したいという方からのご依頼で描いた作品です。」と説明されているとおり、ひとつの家をいろんな角度から正確で繊細でかつ力強いタッチで描かれている。とにかく、細部まで見て欲しい。

「あ、うちのばあちゃんちと似てる!」というところが必ず出てくる。木の陰にいる小さな仏像や、どうしても人が苦しんでいるように見えてしまう木の瘤など、とにかく細部に注意してみると、必ず出てくる。そういった郷愁が取り壊されていく、そういった環境に僕らのようなサラリーマンは暮らしているけれど、同時に彼ら彼女ら芸術家もいるのだ。

彼ら彼女らは何を思って都会で活動しているのだろうか。日々、文化の失われていく都心で、新たな文化を創り出そうともがいているのか?

それは私たちにとっても同じことが言える。文化のなくなっていく都会で、私たちは働く。仕事で、新たな価値を生み出そうとする。それは一体何を意味しているのだろうか?

その場で答えは見つからなくとも、考えを巡らせ、次の閃きのきっかけを与えてくれるのが美術館のいいところだと思う。

U
ゆう/ライター。名古屋で生まれ育つ。現在は都内某所に潜伏中。日本および世界の中でわれわれがこれから行動するための姿勢を考え、潜伏しながら取材を続ける自称過激派サラリーマン。