「学生が家に来て、泡盛飲むようになって、トレーニングしたんだよ。学生とまともに議論するためっていうんじゃないんだけど、飲まないと口開かないから、あいつら(笑)。それでトレーニングしたんだよ。もともと全く飲めないわけじゃなかったんだけど、ビール1杯飲んでひっくり返ってた。気持ち悪くなってた。」

―――結局、先生は30代を丸々沖縄で過ごされていますよね。カザーナの読者も30代が主流なはずですが、ここでご自身の30代を振り返られて、何か今の30代にアドバイスみたいなものがあればお聞かせ頂けないかと…。
目崎:30代でどうのこうのって意識は今までなかったな。でも29で琉球大学に赴任して、確かに30代はずっと沖縄だった。30代の10年って、沖縄で家族を育てて、その間に2歳の子どもを連れて台湾行ったり、家族を置いて3ヶ月ほど南米行ったり、ヒマラヤ行ったり…青春だったな!仕事の上で、30代は青春そのものだった。
―――仕事の青春…お忙しかったんじゃないですか?
目崎:めっちゃくちゃ忙しかったよ!って感覚はない。
―――ありゃ(笑)。
目崎:確かに新聞を150回連載したり、ヒマラヤに出かける前に30本書いていったりはしたけどさ。500字で。あれはいいトレーニングになったな~。で、それがお金にもなるじゃん。0時前に家に帰ることなんてなかったしね。飲み歩いたし。いつも午前様だよ。
―――でも先生、実は沖縄に行く前は一切飲めなかったっていう。
目崎:一切飲めなかった。
―――さすがにそれだけは信じられないですよ(笑)。
目崎:学生が家に来て、泡盛飲むようになって、トレーニングしたんだよ。学生とまともに議論するためっていうんじゃないんだけど、飲まないと口開かないから、あいつら(笑)。それでトレーニングしたんだよ。もともと全く飲めないわけじゃなかったんだけど、ビール1杯飲んでひっくり返ってた。気持ち悪くなってた。
―――泡盛が体に合ったんでしょうね。
目崎:合った合った!日本酒より合った。日本酒は悪酔いしちゃう。おれ、すぐ寝ちゃうからな。南米でもどこでも、世界中で飲んでは寝てたよ。そういう意味でも、やっぱりおれにとって人生は旅なんだよな。
―――世界中を旅しながら、子育てもされていた。
目崎:今みたいに携帯があれば違ったのかもしれないけど、南米に行った最初の年、もう結婚してたけど、うちのカミさんに200通手紙書いた。絵葉書を毎日書いた。日記替わりに。カミさん安心するもんね、それ見て。
―――年間200通ですか?すごいですね。
目崎:いやいや、3ヶ月で200通。
―――3ヶ月で!? 1日2通以上じゃないですか!
目崎:(笑)だって絵葉書じゃん。何した、とか何食った、とか。日記替わり。それをみんな綴じてて、ヒマラヤの山ん中に郵便局なんて無いから、30通くらい溜め込んで、町に降りてきてからそのまま送った。
―――先生、そのころからブログみたいなことやってたんですね。
目崎:あぁ、そうそう。ブログな!全くブログだよ。だってそういう風にしといたら家族は安心するじゃん。電話なんかほとんど通じなかったから。いい時代だったよな。でもあの当時、日記の中で「こういう女性と寝た」なんていう話は書かなかったな。
―――いやいやいや、それは書いちゃダメですって!安心させないと(笑)。…ちなみに、この話も載せちゃっていいんですよね?
目崎:全然いいよ。子どもたちみんな知ってるもん。学生にもみんなに話してることだからな。とにかく、しゃべり続けることが忘れないことだな。30代でも何でも、大切なのは「絶えず語り続ける」っていうことだよ。誰が来ようが。
―――もっと声を出して行かないといけないですよね。30代とか、なってみたらまだぺーぺーじゃん…とか、変に萎縮しないで。
目崎:そうだよ。どんな職場にいても、「おれみたいな奴はいないな!」って生き方をすればいいわけ。
―――でも、さすがに先生みたいな人はいないですよ。
目崎:大丈夫だよ。みんな親も違うんだし友達も違うんだし、全部違うんだからさ。(続く)

『30代』の目崎茂和 |
―――結局、先生は30代を丸々沖縄で過ごされていますよね。カザーナの読者も30代が主流なはずですが、ここでご自身の30代を振り返られて、何か今の30代にアドバイスみたいなものがあればお聞かせ頂けないかと…。
目崎:30代でどうのこうのって意識は今までなかったな。でも29で琉球大学に赴任して、確かに30代はずっと沖縄だった。30代の10年って、沖縄で家族を育てて、その間に2歳の子どもを連れて台湾行ったり、家族を置いて3ヶ月ほど南米行ったり、ヒマラヤ行ったり…青春だったな!仕事の上で、30代は青春そのものだった。
―――仕事の青春…お忙しかったんじゃないですか?
目崎:めっちゃくちゃ忙しかったよ!って感覚はない。
―――ありゃ(笑)。
目崎:確かに新聞を150回連載したり、ヒマラヤに出かける前に30本書いていったりはしたけどさ。500字で。あれはいいトレーニングになったな~。で、それがお金にもなるじゃん。0時前に家に帰ることなんてなかったしね。飲み歩いたし。いつも午前様だよ。
―――でも先生、実は沖縄に行く前は一切飲めなかったっていう。
目崎:一切飲めなかった。
―――さすがにそれだけは信じられないですよ(笑)。
目崎:学生が家に来て、泡盛飲むようになって、トレーニングしたんだよ。学生とまともに議論するためっていうんじゃないんだけど、飲まないと口開かないから、あいつら(笑)。それでトレーニングしたんだよ。もともと全く飲めないわけじゃなかったんだけど、ビール1杯飲んでひっくり返ってた。気持ち悪くなってた。
―――泡盛が体に合ったんでしょうね。
目崎:合った合った!日本酒より合った。日本酒は悪酔いしちゃう。おれ、すぐ寝ちゃうからな。南米でもどこでも、世界中で飲んでは寝てたよ。そういう意味でも、やっぱりおれにとって人生は旅なんだよな。
―――世界中を旅しながら、子育てもされていた。
目崎:今みたいに携帯があれば違ったのかもしれないけど、南米に行った最初の年、もう結婚してたけど、うちのカミさんに200通手紙書いた。絵葉書を毎日書いた。日記替わりに。カミさん安心するもんね、それ見て。
―――年間200通ですか?すごいですね。
目崎:いやいや、3ヶ月で200通。
―――3ヶ月で!? 1日2通以上じゃないですか!
目崎:(笑)だって絵葉書じゃん。何した、とか何食った、とか。日記替わり。それをみんな綴じてて、ヒマラヤの山ん中に郵便局なんて無いから、30通くらい溜め込んで、町に降りてきてからそのまま送った。
―――先生、そのころからブログみたいなことやってたんですね。
目崎:あぁ、そうそう。ブログな!全くブログだよ。だってそういう風にしといたら家族は安心するじゃん。電話なんかほとんど通じなかったから。いい時代だったよな。でもあの当時、日記の中で「こういう女性と寝た」なんていう話は書かなかったな。
―――いやいやいや、それは書いちゃダメですって!安心させないと(笑)。…ちなみに、この話も載せちゃっていいんですよね?
目崎:全然いいよ。子どもたちみんな知ってるもん。学生にもみんなに話してることだからな。とにかく、しゃべり続けることが忘れないことだな。30代でも何でも、大切なのは「絶えず語り続ける」っていうことだよ。誰が来ようが。
―――もっと声を出して行かないといけないですよね。30代とか、なってみたらまだぺーぺーじゃん…とか、変に萎縮しないで。
目崎:そうだよ。どんな職場にいても、「おれみたいな奴はいないな!」って生き方をすればいいわけ。
―――でも、さすがに先生みたいな人はいないですよ。
目崎:大丈夫だよ。みんな親も違うんだし友達も違うんだし、全部違うんだからさ。(続く)