「日本列島は東西に山脈の延びる西日本と、南北に山脈が連なる東日本に大別されるんだけど、実はその分岐点となるのが鈴鹿山脈なんだよな。つまり、東西南北の山脈が十字に交わっているのが伊勢という土地なんだよ。「日本のふるさと」伊勢神宮が、なぜ伊勢にあるのか…ってことだよ。風水的にもね。」
図説風水学/目崎茂和

『風水学者』の目崎茂和

―――先生が伊勢地方の地勢学的な重要性と言葉の問題に気付かれたのは、三重大に赴任されてからですよね。個人的には、先生が三重大学時代に発表された学説で最もインパクトがあったのが、いわゆる『山脈十字論』だと思っているんですが…。

目崎:日本列島は東西に山脈の延びる西日本と、南北に山脈が連なる東日本に大別されるんだけど、実はその分岐点となるのが鈴鹿山脈なんだよな。つまり、東西南北の山脈が十字に交わっているのが伊勢という土地なんだよ。「日本のふるさと」伊勢神宮が、なぜ伊勢にあるのか…ってことだよ。風水的にもね。いつも言ってただろ?伊勢は日本の母胎なんだって。

―――やっぱり、山脈が交差しているところに伊勢神宮を作ろうという…。

目崎:もちろん、それ以前にも各地に神社はあった。でも実は全部、十字路の所に作られていたんだよな。神武天皇が出掛ける場所から延々と、山脈が交わる度ごとに神社を置いて行った。だから一度は三輪山の麓にも似たような神宮があったんだけど、なかなか騒々しくて誰かに取られそうなもんだから、もっと東の伊勢に行こうという。ヤマトヒメがあっちゃこっちゃ探してな。で、ここは敷浪が寄せてね、奈良よりも美味しいものがたくさん食べられるからって言うんで、最終的にここがいいってなったの。「方国(かたくに)の美しき国」っていうわけだから(※)。で、蓋を開けてみれば、そこが日本列島全体の十字路だったってわけだ。測量地図も何もない時代なわけで…。当時の朝廷が風水に精通していたとしか思えないよな。

※【解説】伊勢神宮を建立したときの天照大神から倭姫命への神託
『日本書紀』垂仁天皇25年春3月丁亥朔丙申条では「是神風伊勢國則常世之浪重浪歸國也傍國可怜國也欲居是國」、『倭姫命世記』では「是神風伊勢國即常世之浪重浪皈國也傍國可怜國也欲居是國」であり、「神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の波の敷浪の帰(よ)する国、方国(かたくに)の美まし国なり。この国におらんと欲(おも)ふ」と伝えられている。(日英固有名詞辞典「敷浪」より抜粋)

―――しかもその分岐点である伊勢を境に、日本の東西の地名や言葉遣いに決定的な違いが生じているっていうのがこの「山脈十字論」の肝ですよね。なぜ日本は東西で言葉が違うんでしょうか。

目崎:例えば、我々はさ、自分の気持ちは「気」という言葉以外に使わないんだよ。使えないんだよ、日本人は。

―――使えない?

目崎:たとえば沖縄で「ガンバレ」は「チバリヨー」って言うんだけど、「チ」っていうのは中国語で言うところの「気」の意味だからね。で、その「チバリヨー」っていう言葉が東進すると、大阪弁の「気を張れ=キバレ」になるわけ。さらに京都弁だと「おきばりやっせ」になる。それが関東に行ったときに「ガンバレ」に変わるんだよ。なんで「気を張る」っていうのを「頑張る」としたのか。そこに日本語の面白さがあるんだよな。まあ次はそういう本を書こうと思ってるんだけど(笑)。

―――まさに言語地理学ですね。鈴鹿山脈を越えて言葉が変容した…?

目崎:そうそう。十字論もそうだけど、日本は山脈の日本海側と太平洋側でも、山陰と山陽で陰陽に分かれてるだろ?

―――そうか!山陰と山陽って語源も、もともとは陰陽五行説からなんですね。

目崎:そう。それが基本だよ。それが風水学だよ。南の方が良いんだ、暮らしやすいから。だから家や建物をみんな南向きに作るんだよ。それが陽の世界。そしてそれが天智天皇や天武天皇の頃…つまり日本神話が作られた頃、最先端の理論であり思想だったというわけだ。古事記が当時最先端だった風水の思想で構成されていたとしても、まったく不思議じゃないんだよ。(続く