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先月の記事で石原都知事の力量について触れたばかりだが、今回はむしろ前回の「継承」の問題についての続編である。というのも先日、都の尖閣購入計画をめぐって、石原都知事が国会議員を相手にこう激怒したというのだ。「政府は『東京がやるのは筋違いだ』と言う。筋違いだよ!筋違いだけど、やらざるを得ないじゃないですか!国がやらないから筋違いをやるんだ

まさに石原節全開といった様相だが、実はこれは石原莞爾が満州事変をやったときの口上と一緒だ。日本が迷っている中、石原莞爾が中堅将校と画策して、現場の追認の形で満州事変を成功させた。

しかしそれ以来、石原莞爾の成功を真似しようとして、下克上の空気が日本陸軍に蔓延し、日中戦争へと突入してしまう。

あの思慮深かった昭和天皇でさえ「石原莞爾の行動が陸軍の下克上の空気を作り出し、日本を崩壊に導いた」と、珍しく個人の責任について言及されている。

禁じ手は、継続させてはならない。禁じ手をやった人間が、栄光を手に入れてはならない。そうでなければ、物語が続かないのだ。仮に政治家・石原慎太郎がそれを知っていたとしても、かつて『価値紊乱者の光栄』を書いた作家・石原慎太郎はそれを本当に理解出来ているのだろうか…。都の尖閣購入案に唯一不安を感じる所があるとすれば、その一点に尽きる。


例えばあの織田信長が偉大だったのは、桶狭間の勝利以降は無謀な奇襲を一切やらなかったことだ。

あれほど華々しく見事な奇襲作戦によって世に出た信長は、その生涯で電撃戦こそすれ、以後一切奇襲作戦をやっていない。普通、ここまで賞賛されたら成功体験に縛られるが、信長には一切それがなかった。

そしてもう一つの大きな特徴は、その生涯において篭城戦を一度も行っていないということだ。つまり信長は奇襲や篭城といった極端な作戦を「禁じ手」として自ら封印したからこそ、戦略の柔軟性を損なうことなく連戦連勝を重ねることができたのである。

一方「本能寺の変=謀反」という禁じ手を継続させようとした明智光秀はどうなったか。

光秀の天下にとって、信長の首は必要不可欠なものだった。もし信長の首が手に入っていれば、光秀はそれを京の六条河原に晒したはずだ。それで信長の死が確認されれば、筒井順慶や細川藤孝などの親族が動いて近畿の支配がなり、朝廷も光秀に御旗を与えたかも知れなかった。

しかし「本能寺の変」で、結局光秀は信長の遺体の一部分すら発見できなかった。前日の大雨にも関わらず、これは異常すぎる事態だった。おそらく信長は火薬を身に巻くか、火薬庫の傍で腹を切ったに違いない。

信長は「本能寺の変」で自分の死の戦略的価値を瞬時に察し、脱出して捕まる可能性を自ら消して、死体を完全消滅させる道を選んだ。全ては“天下布武”と自分の描いた物語を後世に引き継ぐために。

自らの物語を継承するという力において、光秀は信長の足元にも及ばなかった。

自分の死すら後世に利用するのが、真の大戦略家の証だ。そして、この発想は実に中華思想的である。なぜなら中華思想は、仏教や儒教と異なり、自分の生死はあまり関係がない。思想や生き様だけが問題だ。身体は精神の仮の宿に過ぎない。この抽象的思考が、巨大国家や組織運営には必須となる。信長は中華思想の大家だったと考えて間違いない。

果たして織田信長のように、石原都知事は「禁じ手」を継続せず、物語を継承することができるのだろうか。就任当初から「東京から日本を変える」と公言してきた石原都政がいよいよ大詰めを迎えている。

瀬戸内平八
せとうちへいはち/愛媛県出身・在住の歴史家、旅人、ニート…何でもいい。本音持って来い!自由とは、覚悟の色、矜持の風。人生を検索するな!結果のバランスを取るな。大義親をも滅ぼす。知行同一。間違ったら即焼き土下座。優しさを捨てて寛容になれ。そして敵を祝福せよ。