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一般的に、私たちの美術鑑賞における思考パターンは、「見て」「考える」という一方向に陥りがちだ。このことは、博物館や美術館に足を運んだことのある皆さんなら、一度は経験したことのあるジレンマと言えるのではないだろうか。そんな中、アートナビゲーターの平野智紀氏が現在取り組んでいるアートの「対話型鑑賞」が、「見て」「考えて」「話して」「聞く」ことによるアート理解の拡張を目指した新たな取り組みとして注目を集めている。

平野智紀/1983年、静岡県磐田市生まれ。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了(山内祐平研究室)。専門は学習論とメディア論。一般企業に勤務する傍ら、鑑賞ワークショップやパーティなどの場づくりを実践し、ミュージアムをはじめとするゆるやかな学習環境のデザインについて模索している。(出典:tomokihirano.com

平野氏は東京でサラリーマンとして働きながらも、京都造形芸術大学に赴き、「対話型鑑賞」について研究を続けている。では、そもそもこの「対話型鑑賞」、一体どこが面白いのだろうか。

まず、「アート作品かどうかの価値は鑑賞者が決める」というのが平野氏の考え方である。しかし一般的な鑑賞者はアートを主観で見る(しかない)ために、必然的に、その作品の多面的な魅力を見落とす可能性が出てくる。そこで、ナビゲーターが加わることで、鑑賞者がアート作品の価値を判断しやすくしようというのだ。

ここでいうナビゲーターとは、「鑑賞者を助けながら、鑑賞者と作品とを結びつける役割を果たす」人のことである。

鑑賞者はまず、見て、考えることによって、その作品や作中の人物の表情を読み解き、作品を理解しようとする。

そこに、他者を加えて、話して、聞くことによって、自分では思いもつかなかった作品の心理描写を見て取ることができるのだ。このタイミングで、ナビゲーターが「この作品では何が行われている?」「どうしてそう思ったの?」「ほかには何が描かれている?」という質問を投げかけることで、そのサイクルをさらに加速させていくことができる。

これまで私たちは、ただ黙って作品と向かい合うことを是としてきた。しかし実は、それだけでは足りない。より深く作品と語り合うためには、他者の視点と、それを補助してくれるナビゲーターの視点が必要なのだ。

「対象について語るということと、自らについて語るということはそもそも分かちがたいものだ。(中略)私たちは、作品について語っている私たちについて語ることを抜きにして、作品について語ることはできない。アート作品について考えることは、とりもなおさず、それをみる私たちについて考えるということでもある」(伊達2009)

アートの本質を理解したうえで、あえて鑑賞者の立ち位置からアートの楽しみ方を模索してきた平野氏。氏はいかにしてこの活動にたどり着いたのだろうか。本人にその軌跡を伺った。(続く

U
ゆう/ライター。名古屋で生まれ育つ。現在は都内某所に潜伏中。日本および世界の中でわれわれがこれから行動するための姿勢を考え、潜伏しながら取材を続ける自称過激派サラリーマン。