「僕が十代の頃って、日本語ラップとか、ヒップホップとかもまだまだ黎明期で、今みたいにダンススクールとかも全然なかった。今でこそ一般的に認知されていますけど、その頃はダンスの師匠みたいな人もいないから、とにかくまずはクラブでムーヴを盗もうと」

古澤健太1

ヒップホップとハウスミュージック、PVにハマった10代

―――今日はプロダクトから空間、エンターテイメントまで、今やノージャンルで多彩なデザインを手掛けられている古澤さんのルーツに迫ろうと思って気合入れてきたんですけど、正直これだけ活動が広範囲に渡っていると何からお聞きしたらいいか…。

古澤:いいですよ、今日は何でも聞いてください(笑)

―――ありがとうございます(笑)。で、お言葉に甘えて…というわけじゃないんですけど、こちらで勝手に色々考えた結果、僕はやはりこの渋谷という地に、古澤さんのクリエイティビティの源泉が眠っているに違いないと。

古澤:そうですね。それは間違いないと思います。色々勉強させてもらってますし。

―――そもそも、最初に渋谷に来られたのはいつ頃ですか?

古澤:十代ですね。高校生の頃、DJとダンスにハマっていたんですね。髪型もドレッドで通学してましたし(笑)。でも僕が十代の頃って、日本語ラップとか、ヒップホップとかもまだまだ黎明期で、今みたいにダンススクールとかも全然なかった。今でこそ一般的に認知されていますけど、その頃はダンスの師匠みたいな人もいないから、とにかくまずはクラブでムーヴを盗もうと。

―――その頃から現場主義だった。

古澤:確かにそういうところは今でも変わらないですね(笑)。とにかくそんな感じで、必然的に渋谷のクラブに足を運び始めました。あとは、たとえばマライア・キャリーのミュージックビデオを見て、ちょろっとしか映らないバックダンサーの動きを盗むとか…高校生の頃はそんなことばっかりやってましたね。

―――ダンスを好きになったきっかけは何だったんでしょうか?

古澤:原点は、僕が中学生の頃のMTVとかスペースシャワーTVですね。その頃のスペースシャワーTVなんてまだ全然オシャレじゃなくて。当時はそれよりもMTVがすごくて、スペースシャワーが後を追っかけてるって感じでした。今はトントンみたいですけどね。もう20年前のことですよ。92年くらいかな。「いろんな世界の音楽があるんだな~」って、素直に感動してました。それでヒップホップの虜になっちゃって。

―――ジャンル問わず、音楽業界全体が活気に溢れていた時期ですよね。

古澤:で、そこから4~5年くらい経つと「さんピンCAMP」とかも開催されたり、だんだんと日本語ラップもメジャーになってきた。

―――あ、その辺なら僕も分かります。96年くらいですよね?スチャダラとか「DA・YO・NE」とか…懐かしいなあ。

古澤:(笑)それもそうですけど、実はもっとカッコイイ…つまり今現在まで活躍されている "本物" の方達も、ちょうどこの時期を境に表舞台に出て来られた。でも、その頃はもう僕のヒップホップ熱は冷めていて、今度はハウスミュージックの虜になっていました。

―――ありゃ(笑)

古澤:結局、黒人が言ってることって、「オレ強い」とか「お金欲しい」とかで。「…あれ?ちょっと違うな」って。その頃はそう思うようになってきたんですよね。もちろん、今でもヒップホップも日本語ラップも大好きですよ。欧米とは環境の異なる日本で、黎明期から現在まで、ムーヴメントからカルチャーへと昇華させた人たちがいる…。凄いですよね、やっぱり。そういう方々のことは今日までずっと憧れてきましたし、尊敬してますね。

―――どんな業界でもそうだと思いますが、歴史を知れば知るほど先駆者の凄さが分かりますよね。

古澤:そうなんですよね。だからというわけではないんですが、ハウスミュージックに傾倒していくのと同時期に、僕は当時からPV(プロモーションビデオ)にも興味を持つようになりました。ヒップホップが日本で盛り上がっていくのとほぼ並行して、PVのクオリティも格段に上がって来た時代でした。面白かったんですよね。

―――確かに、ちょうど音楽PVが急速にオシャレになってきた頃のことですよね。PVも合わせて音楽作品だと一般的にも認知されるようになってきて。今でも CDTVとかでその頃のランキングとか見てると一目瞭然ですよ。92年と95年じゃ、カッコ良さがまるで違う。僕の中では布袋さんの「スリル」なんかが衝撃的だったんですけど。

古澤:それで映像の世界に行きたいなって漠然と思い始めて、映像とグラフィックデザインの専門学校に進路を決めました。

―――そこでいよいよデザインの虜に…?

古澤:デザインはもちろんですけど、その前にマッキントッシュの虜になっちゃいましたね。macがなかったらデザインをやっていなかったかも知れません。 実際に専門学校の時はすでに仕事してましたし。先生にマックを教えたりとか。

―――入学してるのにいつの間にか教えちゃってたという(笑)

古澤:あと、仕事で渋谷109の『COCOLULU(ココルル)』っていう、ギャルマーケットのパイオニアみたいなブランドがあるんですけど、そこから頂いたお仕事を授業中にしていました。

―――授業中に?

古澤:ええ。授業中でやることないので、その間に。

―――もはや学校じゃない(笑)。何を作っていたんですか?

古澤:ショッピングバックとか、イベントのフライヤー…Tシャツとかでしたね。

―――その頃から既にデザインの仕事をされていたと…。なんかあっさり専門学校生の領域を超えた話になっちゃいましたが…(笑)。どうしてそういうココルルのブランド立ち上げという重要な時期に、まだ学生だった古澤さんに依頼が来たんでしょうか?

古澤:運良く社長を紹介頂けたんですよね。ココルルを立ち上げたK社長。その時の出会いがきっかけで、卒業してすぐココルルのグラフィックデザイナーとして働くことができました。

―――社会人一年目から渋谷で働き始めていたんですね。そこで同時にデザイナーとしてのキャリアをスタートさせたという。

古澤:そうですね。正確には、グラフィックデザイナーとしてです。アパレルのデザイナーと我々のような紙媒体のデザイナーだと意味合いが違ってくるのですが、この頃はあくまでグラフィックデザイナーとしてですね。で、当時の渋谷109って、バブルの遺産みたいなイメージしかなかったので、Kさんはこんなところでギャルをターゲットにして、本当にマーケットを開拓できるのかと。

―――今でこそ渋谷109はギャルの聖地のような位置付けですが、当時は全くの未開拓分野だったと。

古澤:はい。結果的にココルルはその市場で大成功するわけですけど、そこからマーケットを切り開く特攻精神みたいなものを学びましたね。単純に「この人、すごいなあ」っていう。Kさんのすぐ後ろでそういう姿が見られたことは、今思えば本当に貴重な経験だったと思いますね。二度とは得られないような刺激的な毎日でしたから(笑) (続く