「最初はとにかくすごい貧乏だったんですよ。全然メシ食えなかった。ほとんど会社に泊まり込んで終電、始発、家に帰れないのは当たり前。今ってmacとか、これだけ道具が発達しちゃったんで、ある程度独立したらポンって食えちゃったりするんですよね。その頃はちょうど過渡期で、まだそんな時代ではなかったし、デザインよりも人としてどうかっていうところを大事にしていましたから。」

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グラフィック、エディトリアル、セールスプロモーション…そして独立

―――『COCOLULU(ココルル)』でギャルマーケットの勢いに魅了された古澤さんですが、その後独立されるまでに何社か経験を積まれていますよね。

古澤:そうですね。ココルルの後、Kさんが当時カリスマ販売員と呼ばれていた森本容子さんと『moussy(マウジー)』を立ち上げることになったんですね。その時に僕も一緒について行ったんです。相変わらず下っ端でしたけど(笑)

―――マウジーも、今や女性の間では紹介するまでもない人気ブランドですよね。ここでまたグラフィックデザイナーとして仕事を?

古澤:はい。でも、実は店舗のオープンちょっと前に辞めちゃったんですよね。

―――え、オープン前に?また何かもったいないような…。

古澤:右も左も分からない状態でファッション業界に飛び込んだわけですけど、もともと紙媒体とかPOP、SPツールにも興味があったんですよね。だからとにかくマウジーには代わりの人間を紹介して。JJ や CanCam、Ray. 写真集などのデザインをやっているプロダクションに入れてもらったんですよ。応募者が100人程いた中で、運良く採用して頂きました。前川正樹デザイン事務所。早い話が、弟子入りしたんですね。

―――弟子入りって…全くの異業種ですし、すごく大胆な選択ですよね。仕事内容を、どちらかというと広告代理店的な方向にシフトされたということなのでしょうか?

古澤:そうですね。グラフィックデザインという意味では、洋服のグラフィックってやっぱりパターンが限られてて。ある程度の知識で何とかなっちゃう所もあるんですけど、僕はもっとデザインを基礎から学びたいと思って。

―――学生の頃からmacを独学で学ばれて、それまでほとんど我流で来られたわけですよね。才能だけで突っ走ってきたけれども、やはりデザインの基本を学ばないとマズイと考えられたんでしょうか?

古澤:マズイという危機感よりは、単純に学びたいという向上心が優っていたような気がします。だからこそ異業種にチャレンジできたんでしょうね。エディトリアルデザイン…日本語の文字の扱い方を知りたかったんです。レイアウトの基本を学びたかった。

―――訴求効果のある組み方、とか?

古澤:そうですね。日本語って綺麗だなって昔から思っていたんですよ。この美しさを操って仕事が出来るようになりたいと。しかも、そこの仕事はまだ完全デジタルには移行してなくて。いわゆる写植時代で、昔ながらのやり方でした。それがまた当時の自分にとっては良かったんですよね。

―――給料を貰いながらエディトリアルデザインの勉強させてもらえたと(笑)

古澤:全くその通りです。で、しばらくしてまた別のプロダクションに入れてもらい、今度はSP(セールス・プロモーション)一体のデザインを学んだんですね。例えばショーウィンドウとかディスプレイ什器のデザインとか…。展示会やイベントブースのデザインをいくつか手がけました。あと、百貨店のコスメ売り場でのSPイベントとか、それに伴うプロモーション什器とか…。

―――自分もその業界ならイメージできます(笑)

古澤:で、間もなくここでN社(超有名スポーツ用品メーカー)とかから直接指名で仕事を頂けるようになったんですよ。僕も若かったんで、「おれ天才なんじゃないか」と(笑) まあ、そこで勘違いしちゃったのが人生の間違いの始まりですね…。

―――いやいやいや(笑) ということは、次はいよいよ独立ということですね。

古澤:はい。

―――有限会社ナグ、ですね。最初から渋谷に事務所を?

古澤:そうなんですよね。「デザイン事務所といえば渋谷でしょ」と、単純に(笑)

―――一人で始められたんですか?

古澤:そうですね。でもその頃からアシスタントはいました。一人の時期は半年くらいかな。

―――最初から会社として大きくしたいって思われてたんでしょうか?それとも一人で、個人事業主みたいな感じでやっていこうと?

古澤:それはなかったですね。というのは、最初に会社作るときに、実は僕、赤の他人に土下座して借金をしているんですね。その時に、今の会社の役員でもあるMさんが連帯保証人になってくれたんです。Mさんとはサラリーマン時代からの知り合いで、前から「お互い独立しようね」って話をずっとしてて。さっきの、独立する直前にいた会社で一緒だったんですよ。

―――そこで意気投合された。

古澤:はい。で、そのお金を貸してくださった方っていうのがすごくビジネスライクな思考をされていて。「デザイナーって若いときはいいけど、年くったら食えないよね」と。野球選手とかと一緒でしょ?組織作りはしておいた方がいいんじゃないですか?ってアドバイスを常々頂いていたんですね。だから、会社の方向性は起業した当初からすでに意識していましたね。組織でやっていこうと。

―――自分の感性だけで最後まで行けるほど甘くないんだ、という。土下座って話が先ほどありましたが、やはり会社をつくるとなると借金しないと難しい時代だったんでしょうか?

古澤:当時は新会社法前なので、有限会社作るのにも最低300万必要だったんですね。それで、後に株式会社ナグにするんですけど、それも新会社法前にしたんですね。

―――あえて茨の道を…?

古澤:はい。なぜかと言うと、今って誰でも株式会社作れちゃうじゃないですか。当時は資本金1千万円以上に加え、取締役2人、監査役1人って決まっていたんで、株式会社の重みがあるうちに増資して株式会社にしちゃったんですよね。

―――それって素人から見るとピンと来ないんですけど、周りから見ると違うんですか?

古澤:当然違いますよね。「株式会社○○」って言っても、資本金100万円だったら、どうしても取引先がちょっと引いて見ちゃうじゃな いですか。0円企業とかもあった時代なので。それはちょっとカッコ悪いな、と。今でも資本金を隠してる会社、多いですよね。それじゃダメだと。そこは踏ん張りました(笑)

―――独立した当初はどんな感じでしたか?

古澤:最初はとにかくすごい貧乏だったんですよ。全然メシ食えなかった。ほとんど会社に泊まり込んで終電、始発、家に帰れないのは当たり前。今ってmacとか、これだけ道具が発達しちゃったんで、ある程度独立したらポンって食えちゃったりするんですよね。その頃はちょうど過渡期で、まだそんな時代ではなかったし、デザインよりも人としてどうかっていうところを大事にしていましたから。

―――人として?

古澤:はい。例えば、営業行くにも過去の会社のものは一切持ち出さなかったりとか、きちんと筋を通してからやったりとかしていたので。しんどくても、そこは仁義を尽くそうと。今まで学ばせてもらった恩義を忘れちゃいけないと。今の若い子たちって、そういう筋を通さないんですよね。勝手にデータを持ち出して「私の作品です」みたいな。ここは強く言っておきたいですね。こういう業界って、一子相伝みたいなところがあるじゃないですか。そういう、最低限守るべきルールみたいなのがどんどん薄れちゃってるんじゃないかと。

―――僕は「○○ってあるじゃない?あれ、オレの仕事」っていう輩を最近「アレオレ詐欺」って呼んでるんですけど(笑) そういう連中ってやっぱり信用おけないですよね。

古澤:勝手に会社の名前使われたりとかね。そういうのも今まで放っておいたんですけど、来年あたりからちょっと正式にやってやろうかと。今は機密事項に関する契約が厳しくなって来ているので尚更ですね。そのうち法的にキチンとやっていこうかと思っています。ええ、キチンとね(笑) (続く