そもそもオッサンたちは若者に何の関心ないし、期待もしていなくて、単に自分に降りかかるであろう責任を回避しようとしているだけですよ。口先ではもっともらしいことを言いながらね。究極的には、組織は若者を守るようにはできていないし、その上層にいるオッサンたちにとって、若者は手駒に過ぎない。若者はそういう相手に対して、必要もない気遣いをしているけど、本当はもっとぶつかっていかないと、いいように利用されて捨てられるのがオチなんですよ。

2014-07-20 146

「傷つかない」「失敗しない」ことがそれほど重要ですか?

—――そんな一見「無難な」情報の洪水の中にいる、最近の若者について思うところはありますか?

ナザワ:OK。すごく面白いね。それをまだ「若者」であるナザワに聞いてくるわけだから(笑)。って、もちろん嫌味じゃないからね(笑)。つまりこういうことですよ。「最近の若者は…」と愚痴りはじめたら終わり。これは大前提なんですけれども、実は今あなたが言った「若者」世代に関して、少し気になっていることはあるんですよ。それがまさに今のナザワの年齢から10歳くらい下まで?要するにね、ガンガン働いてなきゃおかしい世代のことなんですけれども。

—――はい。

ナザワ:強いて言えばですけど、人と距離を縮めないことが正しいという風潮がこの世代の根底にある気がして。ナザワは気に入らないよね、そういうの(笑)。

―――踏み込んで人と付き合おうとしていない、ということですか?

ナザワ:そう。これって、社会的な課題にもなっているマンション住民のコミュニケーションそのものじゃない?形式的に生きるという選択肢を誰かから与えられて、もちろんその通り生きることはできるんだけれども…やっぱり寂しいよね。

―――近年、LINEなどの閉鎖型のSNSが充実してきた結果、そこまで踏み込まなくても、ちょっとウザかったらすぐブロック、みたいなこともできるようになってきましたよね。ネット世界には変な人も多いので必要な安全策でもあるとは思いますが、ナザワさんはその弊害も感じていると。

ナザワ:確かに、人と深く関わらなければ傷つかないですよ。でも、「傷つかない」「失敗しない」ことがそれほど重要ですか?昔のムラ社会のコミュニケーションがなくなっていると言われていて、そうした風潮を危惧する声も聞かれるようになってきました。必要以上に干渉しないという生き方が当たり前になっていますが、そうなると、今後は古き良き「付き合い」もなくなっていくということですよね。ムラ社会的コミュニケーションがいいとは決して思わないけれど、そのメリットを丸ごとスポイルしちゃっていいのかという懸念は感じていますよ。

―――今の若い子はムラ社会的コミュニケーションのメリットと言われても、ピンと来ないかもしれませんね。

ナザワ:もうね、そういう感覚になってきちゃってますよね。そもそも、人と関わっていくのは大なり小なり勇気がいるものですけど、実際は得られるものも大きいんですよ。何でかっていうと、自立して生きていくために必要なスキルが詰まってることが多いからですよね。そんな必要不可欠なプロセスに、臆病になり過ぎてる風潮がある。その代償なのか、誰でもやっている趣味とかサークルとか、オッサンに対するどうでもいい気遣いとか(笑)、最悪なくなってもいいようなものに注力している人が多い。例えば、所詮はレジャー程度のリスクのないものに没頭して群れていたりとかね。別に、そういう生き方を否定するつもりはいないけど…物足りないよね。

―――そのまま、いざ社会的立場を与えられた時に、スキルが足りていないことに気付いても手遅れだったりしそうですね。

ナザワ:例えば、仕事の後輩の話ですけど、お客さんと話をする時でも、向こうの立場に立って話ができていない人が多いように感じますね。これって、やっぱりマニュアルの弊害ですよね。失敗を過度に恐れすぎ。それだと、「自分流でやったら先輩に怒られた、だから後輩にはこうやって教えてやろう」という流れがなくなっちゃいますよね。「あと一歩」とか「俺が組織を回すんだ!」とかいう「余計なお世話」が重要なのに、マニュアル通りにやれば安全だからって、必要以上の干渉を避ける風潮なんですよ。確かに干渉自体は邪魔臭いんですが、だからといって深く立ち入るリスクを取らないことで、結果的に得られないことってすごく多いんじゃないかな。

―――無駄に年を食うと、誰もそういうことを教えてくれなくなりますからね。本当はそっちの方がリスクなんですけどね…。

ナザワ:あと、友達と喧嘩しない若者が多くてびっくりしたことがあります。ナザワの時代は、マブダチだったら喧嘩するのは当たり前だったんですけどね。今じゃ、口喧嘩すらしたこともない若者が多いって言いますよね。「昔、大喧嘩したヤツと昨日飲んでいたよ。」みたいな笑い話が聞かれなくなりました。友達だからこそ「おせっかい」ができるのに、そうしたことを避けて、本当の関係が築けるのかは疑問ですよね。喧嘩することで引き出せる情報は多いですし。そういうことが友人関係の醍醐味なんですけどね。孤立することがそんなに怖いのかなっていう。

―――女を取り合ったりとかもしないんですかね?(笑)

ナザワ:(笑)そういうことも減ってきているのかもしれない。でもね、ここでもう一つ重要なこと言いますよ。別にこれって実は、若者の責任だけとは言えないんですよ。いわゆる「オッサン」たちが自分達に都合のいいように作り上げた社会システムの上に、若者が安易に乗っかろうとするからオカシなことになってるんですよ。そもそもオッサンたちは若者に何の関心ないし、期待もしていなくて、単に自分に降りかかるであろう責任を回避しようとしているだけですよ。口先ではもっともらしいことを言いながらね。究極的には、組織は若者を守るようにはできていないし、その上層にいるオッサンたちにとって、若者は手駒に過ぎない。若者はそういう相手に対して、必要もない気遣いをしているけど、本当はもっとぶつかっていかないと、いいように利用されて捨てられるのがオチなんですよ。

いじめなんて、なくなるわけがない。

―――その現実を見て見ない振りをしている人は多そうですね。

ナザワ:I think so.僕もそう思う。直視できないんだね。いじめ問題なんかを見ていても、そういう風潮はあるように思いますよ。極論を言えば、いじめなんてなくなるわけがない。人が、他人に対してなにか違ったところを見つけて攻撃するというのは、種の保存上プログラムとして埋め込まれているんじゃないですかね。例えば、人間の顔を平均化すると、理想的なイケメンになるらしいんですよ。多分、イケメンというのは平均的な顔を美しいと捉えるように感じられる人間の本質から出てきている現象なんですね。こういう、集団の中心に向かおうとする習性に焦点を絞ると、逆の側面から排斥の欲求が出てきて、「いじめ」という現象につながるのではないですか。

―――ロジックがあるのですね。日本人のように、過度に普通であることを美徳とするような同調圧力が強いと、尚更かもしれません。

ナザワ:そもそも、人間は人間に対する興味が過敏なんですよ。壁のシミが人の顔に見えるという現象もそうした本質ゆえでないですか。まぁ、いじめについても、そのまま野放しにしていいとはもちろん思いませんよ。でも、人間の本質的な部分が問題の根っこだとすると、システムをいじったところで根本的な解決にはつながらない。こういう問題は、どう対応して共存していくのかが重要ですよね。少なくとも、なかったコトにするとか、人間関係自体を薄くするというベクトルが正しいとは思えない。

―――逃げても逃げ切れるもんじゃないという。

ナザワ:さらに、ここに昨今のメディアが関わると、被害者が悲劇のヒーローとなって、より事実がねじ曲がってしまうよね。そういえば、ナザワの時代に比べても、いじめが「悪」として扱われる傾向が強まっているように感じますね。内容や本質は変わっていないはずなのにね。いじめ対策として、まずは対症療法的に距離をとるという方法論は間違いではないけど、それをもって決して解決とはならない。ナザワは昔からいじられキャラだったから、徹底的に笑いに持って行くことで、悲惨ないじめにつながらないという解決策を見つけてきました。結局、個人がなんらかの形で戦わなくてはならない問題なんですよ。どうしても社会とか行政では解決できない問題って存在するもので、その時に個人をどのようにエンパワーメントするのかということが重要ですよね。

―――リアルでは踏み込んだ付き合いを避ける傾向があるだけに、陰口だったり、面と向かっては言われないけれどSNSではボロクソに書かれていたり、水面下のいじめはむしろ深刻化しているという話もあります。

ナザワ:つまり、社会のリソースやシステムをもって解決策のようなものを作ったとしても、究極的には「個人の問題は個人が解決する」という本質を無視しては結局何も変わらない。いじめが悪だからといって減らす努力をするということが、すなわち解決ではないということを認識しないとね。例えば、いじめられている子どもを持つ親が、逃げるという方法論を取った場合、別のシチュエーションで子どもがどうやって戦うのかを学習できないわけじゃないですか。何からでも逃げていればその場は無難かもしれないけど、そのまま社会に出て、本当のピンチに立たされた時に、どうやって解決するのだろうと。それだったら、まだ、やり直しが効く子どものうちに失敗して対策を学んだほうが良いんですよ。この場合は親が逃げ道を用意できればベストなんでしょうけど、それは子どもを無菌室に入れることではないっていう。バランスが大切ですよね。自分自身がいじめられてたから言えることなんでしょうけれども(笑)。(続く)