表紙
彼は写真で見るよりは背が低かった。革ジャンと青いパンツのラフなスタイルで現れた彼の右手には、洗い落としきれていない白のペンキが、肌荒れのときの皮膚の皮のようにはりついてみえた。

土井田一将、25歳。1986年7月1日、岐阜県安八郡の「都会でもなく田舎でもないところ」で生まれた。

彼には2人の妹と両親、祖父がいる。家族は今も安八郡に住んでいるが、高校卒業後、彼は東京の専門学校に入ることを選んだ。家族はみなバックグラウンドに仏教があり、それに則う生活が出来上がっていたような気がするという。

彼は時折、言葉を選ぶ。こちらが補足したくなる。で、こちらが補足したとしても、やや不満げな表情を見せる。たぶん、僕の言葉では彼の意図するところを十分に表現できていないのだろう。

また、彼は時折、伏し目がちになる。どうやら僕のノートを覗き込んで、自分自身とは何なのかを考えているようだ。その行為は、まるで僕のノートが鏡になっているような気にさせる。僕が要所要所で書き殴った文字を見ながら、彼は自分の言いたいことを頭で探す。

最後に、彼は掌の親指の腹の部分をつけ、お互いを引っ張り合うような握手を求めた。僕はとっさに反応したが、タイミングが若干ずれた。彼はほとんど気にせず、「それでは、明日よろしくお願いします」とだけ言った。

明日と言うのは、彼が現在描いている作品を写真にとって欲しいと言われたことだった。僕としては願ったり叶ったりなので、その場で快諾した。

その時、彼は無邪気に「この前あそこで出した作品なんかより、ずっといいものができているんだ」と言った。その、「あそこ」とは、僕らの最初の出会いの場所であった。

彼は悩みながらも日々進化している。日々と言うか、秒単位かもしれない。でも、悩んでいる。悩みながら進化している。

そんな彼の「いい」作品を見るのが明日というのに、僕は待ち遠しくて仕方なかった。

氏の家

翌日、前日とは打って変わって軽快に歩いている彼に驚いた。アーティストはやはり日単位で気分が変わっていくものだ。

この日は、自宅兼アトリエを見せてもらうことになった。家の中にお邪魔すると、確かにアトリエ。壁中にペンキやら何やらがついている。

…おそらく、賃貸なはずだ。僕が思わず「これ、どうするの?」と聞くと、「直せって言われれば弁償しますよ」。

彼は、壁紙の張替えなどは意にも介さなかった。

家はユニットバスつきのワンルームで、6畳の広さであった。高円寺駅から北に向かって10分ほどだ。その使いやすさは、同じ一人暮らし組としてよくわかる。それにしては安い物件である。

現在、彼は計5作品を同時に手がけているが、それは壁に紙が5枚しか貼れないからだそうだ。彼には「自分ができること」に重きを置く習慣があり、誰かがどうしたという部分には、実は驚くほど無頓着なところがある。

こんな亜空間で日々の生活を営む男は、いったい何を考えているのだろうか。僕はますます彼に興味を持った。

インタビューは、そんな中でいつの間にか始まっていた。彼の口から発せられる言葉は、どれも驚くほど謙虚で実直だった。(続く)

U
ゆう/ライター。名古屋で生まれ育つ。現在は都内某所に潜伏中。日本および世界の中でわれわれがこれから行動するための姿勢を考え、潜伏しながら取材を続ける自称過激派サラリーマン。
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